「永久」って言葉に、ちょっとだけ身構えた日

4925115_s

今朝の部屋は、暖房をつけているのに、足元だけがやけに冷たくて、スリッパの中で指先が小さく丸まりました。カーテンの隙間から入る光が冬っぽく白くて、コーヒーを淹れたのに香りより先に「今日、外出るのめんどいな」が勝ってしまう感じ。洗面所の鏡に映る自分の顔は、いつもと同じなのに、どこか“決心の前”みたいな目をしていて、私はその目を見ないふりをするように歯を磨きました。

今日は、医療法人社団カルミア美肌クリニックの「92.4%の女性が満足した永久脱毛」っていう言葉が、頭の片隅でずっと点滅している日でした。

永久、って、言葉が強い。強すぎて、逆に現実味がなくて、でも契約書みたいに現実へ引っ張ってくる。美容の話、というより、私はあの言葉が持っている“戻れなさ”みたいな感触が、ちょっと怖かったんだと思います。

外に出る前、玄関で鍵を握り直して、スマホの予約画面を開いて閉じて、また開いて。「行く」って決めたのは自分なのに、決めた自分を誰かに説得してほしくなるの、ほんと情けない。でも、たぶんそういう日ってある。

この“自分で決めたはずなのに、怖い”って気持ち、わかる人、きっといると思う。



駅までの道は、いつもより人の歩く音がはっきり聞こえて、コツコツ、コツコツっていうリズムが、妙に心を急かしました。私はマフラーの端をぎゅっと握って、なんとなく姿勢を正して歩きながら、頭の中だけはずっと別の場所にいました。

「永久脱毛って、結局、私は何を“永久”にしたいんだろう」って。

もちろん、表向きは“ムダ毛をなくしたい”なんだけど、それだけじゃなくて。

たぶん私は、未来の自分の面倒を、少しでも減らしたい。将来の自分に「これ、やっといてよかった」って言われたい。逆に言うと、今の自分に「何もしないで後悔しない?」って脅されている気もして、そこがちょっと嫌でした。

クリニックに着いて、ガラス扉が静かに閉まった瞬間、外の騒がしさがふわっと遮断されて、空気が一段だけ“整って”いました。受付の人の声も、案内の仕方も、丁寧で、あぁこういう場所の丁寧さって、安心のために作られてるんだなって思う。
でも、安心するのと同時に、私はちょっとだけ小さくなった気もしました。きれいな場所ほど、自分の不安が目立つ。そういう感覚、ある。

待合の椅子に座って、膝の上にバッグを置いて、手の置き場がわからなくて、結局スマホを触るふりをしました。隣の席に座った女性が、コートの袖を整える動きだけで“慣れてる感”を出していて、私は勝手に見比べて勝手に負けた気になって、また情けなくなる。

こういう、誰にも言わない小さな競争心って、ほんとやめたいのに勝手に湧くから厄介です。

そして今日の「小さな出来事」は、ほんとうに小さくて、でも私の中では妙に大きかったんです。

カウンセリングの前に渡された問診票の“自由記入欄”に、ペンが止まってしまったこと。

「不安な点があればご記入ください」って、よくある一文。

だけど私は、何が不安なのかをうまく言葉にできなくて、空欄のままにしそうになりました。だって、“痛いのが怖い”とか“肌が心配”とか、そういう分かりやすい不安じゃなくて。私が怖かったのは、たぶんもっと曖昧で、恥ずかしいものだったから。

誰にも言わなかった本音は、「ちゃんとした人」になれない自分が怖い、だった



カウンセリングルームに入って、説明が始まると、私はちゃんと頷けました。医療脱毛の仕組みとか、照射の流れとか、注意事項とか。医療機関としての説明は分かりやすくて、「あ、思ってたより冷静に聞けてる」って自分でも思った。

でもその途中で、ふと自分の中から湧いてきた本音がありました。

それは、ムダ毛のことでも、見た目のことでもなくて。

「私、こういう“ちゃんとした選択”をし続けられる人じゃないのに」

っていう、かなり嫌な声。

勢いで決めて、勢いで始めて、途中で面倒になって、自己嫌悪になって、結局続かない。

資格の勉強も、貯金のアプリも、運動も、全部そう。だから、永久脱毛みたいに“長い時間をかけて結果を取りに行く”ものに対して、私はどこかで自分を信用できていなかった。

「どうせまた、途中で嫌になるんじゃない?」って、未来の自分が今の自分に冷たい顔をしてくる感じ。

それを言ったら、たぶん笑われないし、否定もされないし、むしろ「そう感じる方もいますよ」って優しく返されるだけだと思う。わかってる。

でも私は、それを口にするのが恥ずかしかった。

“ちゃんとできない人”として自分を紹介するみたいで、嫌だった。

だから、私は問診票の自由記入欄を空欄にして、分かったふりをして、落ち着いたふりをして、話を聞くふりをしました。

この“ふり”が上手くなるのって、大人になった証拠みたいに言われるけど、私はたまに、ただの逃げだと思う。

ささやかな違和感は、「永久」より先に“私の境界線”の話だったこと


説明の中で、同意書の話が出ました。施術のリスク、注意事項、通院のペース、キャンセル規定。全部、当たり前のこと。

でも私は、その紙を見たときに、なぜか胸がきゅっとしました。

永久脱毛って、綺麗になるとか楽になるとか、そういう話に見えがちだけど、私の今日の違和感はそこじゃなくて。

“自分の体に対して、何かを決める”っていう行為そのものが、急に現実になった瞬間、私はちょっと怖くなったんです。

たとえば、転職とか引っ越しとか、そういう選択は、やり直せる気がする。もちろん大変だけど、取り返しはつく。でも体のことって、もっと直接的で、もう少しだけ繊細で、言葉にできない“境界線”がある。

私は普段、自分の体の境界線について、あまり考えないようにして生きてるんだと思います。考えると、急に心細くなるから。

それでも、今日の私は、その境界線をちゃんと意識してしまった。

「自分の体を、自分が決める」って、当たり前のはずなのに、当たり前じゃない感じがして、妙に気持ちがざわついた。

そして、気づいてしまったことがある。

私は“永久”が怖いんじゃなくて、“決めたあとの自分”に責任が生まれるのが怖い。
やると決めたら、通う。ケアもする。生活の予定も組む。お金も払う。サボりたくなった日も、投げ出したくなった日も、何かしら自分に説明しなきゃいけない。

その説明が、たぶん私は一番苦手。

この苦手を、誰かのせいにできないところが、静かに怖いんだと思う。

今日だけの小さな気づきは、「不安を言語化した時点で、少しだけ自分が味方になる」こと

結局その場で私は、問診票の自由記入欄を空欄のままにしませんでした。
帰り際、受付横のペン立てが見えた瞬間に、急に悔しくなって、私はもう一度、カバンの中から問診票を出して、隅っこに小さく書き足しました。

「続けられるか不安」って。

たったそれだけ。小学生みたいな一文。

でも、その一文を書いた瞬間、胸の奥にあった“正体不明のざわざわ”が、少しだけ形になった気がしたんです。形になったものは、少しだけ扱いやすい。少しだけ、怖くなくなる。

私は今日、永久脱毛の話をしに行ったのに、実際に持ち帰ったのは、たぶん違うものだった。

“ちゃんとできない自分”を、いきなり矯正するんじゃなくて、ちゃんとできない不安がある自分を、まず見つける。
それだけで、私はほんの少しだけ、自分の味方になれた気がしました。

帰りの電車で窓に映った自分の顔は、朝より少しだけ力が抜けていて、私はその顔を見ても逃げませんでした。

完璧になったわけじゃないし、前向きな教訓が手に入ったわけでもない。

ただ、“不安って、無視すると膨らむけど、言葉にすると縮む”って、今日の私は体で理解した。たぶんそれだけ。

そして、これを読んでいるあなたも、何かを決めるときに、内容より先に「私、ちゃんとできるかな」って不安になること、ありませんか。

大きな決断じゃなくても、ほんとに些細なことでも。

私は今も、永久って言葉にちょっと身構える。

でも、身構えた自分を責めるより、「身構えてるね」って言ってあげるほうが、明日もう一回ちゃんと考えられる気がするんです。

ねえ、あなたは最近、何かを決める前に、どんな“言葉にならない怖さ”を抱えましたか。