深夜、スマホの代わりに“返事のいらないもの”を枕元に置く夜です
5月25日。暦の上では小満のころです。草木がぐんぐん満ちて、紫陽花が梅雨の準備を始める季節です。外の世界は、ちゃんと季節を進めているのに、私だけが同じ場所で足踏みしているように感じる夜があります。
仕事から帰って、メイクを落として、部屋着に着替えて、冷蔵庫の中をなんとなく開けて、閉めます。別にお腹が空いているわけではないのに、何かを探してしまいます。
たぶん探しているのは、食べ物ではなくて、今日一日をちゃんと終わらせてくれる合図です。
夜のスマホは、情報ではなく“採点表”になってしまうことがあります
スマホを見ているつもりで、いつの間にか自分の人生を採点していることがあります。
友だちの結婚報告、誰かの昇進、子どもの寝顔、旅行先のホテル、丁寧に盛りつけられた朝ごはん。
どれも悪くないです。むしろ、ちゃんと祝いたいです。幸せそうでよかったね、と心から思える自分もいます。
でも、深夜の私は少しだけ弱いです。
昼間なら流せる投稿が、夜になると胸の奥にすっと入ってきます。誰かの幸せがまぶしいのではなく、自分の今日が薄く見えてしまうのです。
30代になると、悩みは大声で泣けるものばかりではなくなります。
寂しいけれど、誰でもいいから会いたいわけではないです。
結婚したい気持ちはあるけれど、焦って誰かを選びたいわけでもないです。
自由でいたいけれど、ずっと一人で平気と言い切れるほど強くもないです。
この中途半端さは、だらしなさではありません。
むしろ、自分の気持ちを雑に扱いたくないから生まれる迷いです。
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枕元に置くものを変えるだけで、夜の孤独は少し形を変えます
最近、私は寝る前にスマホを少し遠ざけて、枕元に小さなメモ帳を置くようにしました。
立派な日記ではありません。三日坊主になってもいい、コンビニで買えるような薄いメモ帳です。
そこに書くのは、前向きな言葉でなくてもいいです。
「今日は人の声に疲れました」
「また比べてしまいました」
「本当は誰かに、おつかれさまと言われたかったです」
「明日の私へ、朝は水だけ飲めば合格です」
これくらいでいいのです。
スマホに書くと、どこかで誰かに見られることを意識してしまいます。面白く書かなきゃ、きれいにまとめなきゃ、意味のあることを言わなきゃ、と心が勝手に背伸びします。
でも紙のメモは、誰にも見せなくていいです。
誤字も、弱音も、支離滅裂な一文も、そのままでいいです。そこには既読も、いいねも、通知もありません。
深夜に必要なのは、正解をくれる誰かではなく、こちらの言葉を奪わない場所なのかもしれません。
返事がこない夜に、いちばん返事をくれていたのは自分でした
ある夜、私はメモ帳にこう書きました。
「私、このまま誰にも選ばれなかったらどうしよう」
書いた瞬間、少し泣きそうになりました。こんな言葉、友だちには言いにくいです。重いと思われたくないですし、励まされるのも少し苦しいです。
私はそのままメモ帳を閉じようとしました。
そのとき、前のページが少しめくれました。そこには、数日前の自分の字で、こう書いてありました。
「選ばれる前に、私が私を雑に扱わないこと」
びっくりしました。
まるで誰かから返事が来たようでした。でもそれを書いたのは、数日前の私です。
深夜のメモ帳は、弱音のゴミ箱ではありませんでした。未来の自分に届く、時差のあるラジオだったのです。
誰からもLINEが来ない夜でも、過去の自分から返事が届くことがあります。
私たちは、誰かに選ばれないと価値がないわけではありません。
今夜、眠る前にスマホを少し遠くへ置いてみてもいいかもしれません。そして一行だけ書いてみます。
「今日も、私のままで帰ってきました」
それだけで、夜は少しだけこちら側の味方になります。
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