夜の部屋で、運動しない私を責めるのをやめた日
夜の9時43分。
帰ってきてから、部屋着に着替えるまでに、なぜか20分くらいかかった。
バッグを床に置いて、郵便物をテーブルの端に寄せて、洗面所の鏡に映った自分の顔を見たら、思っていたより疲れていて、思わず「うわ、今日の私、顔が無音……」と小さくつぶやいた。
外ではちゃんとしていたつもりだった。
お客さまには笑顔で話したし、職場でもなるべく機嫌よくいたし、帰り道に寄ったコンビニでも、店員さんにちゃんと「ありがとうございます」と言えた。
でも、部屋に入った瞬間、全部のスイッチが切れたみたいに、体が床に沈んでいく感じがした。
本当は、今日は少し運動しようと思っていた。
スマホの中には、LEAN BODYのページを開いたままにしてあって、ヨガとかピラティスとか、短いレッスンなら家でもできるって知っていた。
ジムみたいに誰かに見られるわけでもないし、ウェアを完璧に揃えなくてもいい。
なのに、ソファに座った私は、しばらく画面を見つめたまま動けなかった。
「運動したほうがいいのは、わかってるんだけどな」
誰にも言わなかった本音は、たぶんこれだった。
体を動かしたい気持ちより、動けない自分をまた確認するのが怖かった。
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再生ボタンを押すまでが、いちばん遠かった
LEAN BODYのレッスン一覧を眺めながら、私はなぜか少しだけ緊張していた。
たった数分の動画なのに。
スマホを立てかける場所を探して、テーブルの上のマグカップをどかして、床に落ちていたヘアゴムを拾って、ヨガマット代わりに薄いラグの端を手で伸ばした。
その動作ひとつひとつが、妙に現実的で、ちょっとおかしかった。
「こんなに準備して、3分でやめたらどうするん」
自分で自分にツッコミを入れたら、少しだけ笑えた。
運動を始める前って、体力よりも気持ちのほうが重い日がある。
画面の中のインストラクターさんは明るくて、姿勢もきれいで、見ているだけで「ちゃんとしている世界」の人に見えた。
その横で私は、毛玉のついた部屋着で、前髪を変な方向に結んでいて、足元には洗濯しようと思って放置した靴下があった。
ああ、これが私の現実だなと思った。
でも、不思議と嫌ではなかった。
完璧な部屋でも、完璧な体型でも、完璧なやる気でもないけれど、再生ボタンだけは押せる。
そう思ったら、少しだけハードルが低くなった。
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頑張るためじゃなく、戻ってくるために体を動かす
選んだのは、きつそうなトレーニングではなく、ゆっくり体を伸ばすレッスンだった。
腕を上げた瞬間、肩のあたりが思ったより固くて、「私、今日ずっと力入ってたんだ」と気づいた。
深呼吸をする場面で、画面に合わせて息を吐いたら、胸の奥に溜まっていた小さなため息まで一緒に出ていった気がした。
別に、急に前向きになったわけじゃない。
明日から毎日運動します、なんて宣言もできない。
でも、体を動かしながら、ずっと頭の中で鳴っていた「ちゃんとしなきゃ」が少しだけ小さくなった。
仕事も、婚活も、美容も、自分磨きも。
全部、良くなりたいからやっているはずなのに、いつの間にか「できていない私」を責める材料にしてしまうことがある。
読者さんにも、そんな夜があるかもしれない。
やりたい気持ちはあるのに動けなくて、スマホだけ見ながら、心の中で自分に小さくダメ出ししてしまう夜。
今日の私は、LEAN BODYで体を鍛えたというより、責める方向に傾いていた心を、少しだけ自分のほうへ戻した感じだった。
レッスンが終わったあと、汗はほんの少しだけ。
達成感というほど大げさなものでもない。
ただ、床に座ったまま、足の指を動かして、「あ、私まだちゃんとここにいる」と思った。
それくらいの小さな気づきだった。
運動って、きれいになるためだけじゃないのかもしれない。
誰かに褒められる体を作るためでも、毎日を完璧に整えるためでもなくて、散らかった部屋の中で、疲れた自分を置き去りにしないための動作なのかもしれない。
スマホを閉じたあと、洗面所に行って、ぬるい水で手を洗った。
鏡の中の私は相変わらず疲れた顔をしていたけれど、さっきより少しだけ、表情に余白があった。
明日もできるかはわからない。
たぶん、できない日もある。
でも、今日みたいに「全部は無理だけど、少しだけなら」と思える夜が、これからも何度かあればいい。
あなたは最近、自分の体の声を聞く前に、自分を責める声ばかり聞いていませんか。

