除湿剤の水がたまるたび、私の心まで見えてしまう夜
クローゼットの奥で、静かに満水になるもの
5月13日。暦の上では立夏を過ぎ、春というより、もう初夏の入口に片足を入れている頃です。朝はまだ涼しいのに、昼になると空気が少し重たくなって、夕方には髪の内側がふわっと広がるような湿気を感じます。
この季節になると、私はクローゼットの奥に置いた除湿剤の存在を思い出します。
普段は完全に忘れています。むしろ、買ったことすら忘れているくらいです。けれど、ある日ふと服を取ろうとして、半透明の容器に水がたっぷりたまっているのを見つけた瞬間、なぜか心がざわっとするのです。
「え、こんなに吸ってたの?」
まるで、私が知らない間に部屋の湿気を黙って抱えてくれていたみたいです。
除湿剤って、すごく不思議な存在です。派手な香りもなければ、かわいい見た目でもありません。インテリアとして飾られることもありません。SNSに載せても、きっと誰も「おしゃれ!」とは言ってくれません。
でも、クローゼットの奥で、誰にも見られずに、じわじわと空気の重さを吸っているのです。
なんだか、30代の私たちみたいだなと思いました。
仕事では平気な顔をして、友達には「大丈夫」と言って、家族には心配をかけないようにして、恋愛では重たくならないように笑ってみせる。けれど本当は、毎日の小さな湿気みたいなものを、少しずつ心の中にためているのかもしれません。
言えなかった言葉。
返ってこなかったLINE。
なんとなく疲れた朝。
誰にも気づかれなかった頑張り。
買ったまま着ていない服。
開けるのが怖い郵便物。
週末にやろうと思って、また先延ばしにした掃除。
そういうものが、目に見えない湿気みたいにたまっていきます。
そしてある日、クローゼットの除湿剤を見たときに、思ってしまうのです。
「私の中にも、これくらいたまってるのかも」って。
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湿気は、だらしなさではなく暮らしの気配です
湿気という言葉には、なんとなく悪者感があります。
ジメジメ。
ベタベタ。
カビ。
におい。
部屋干し。
梅雨前の憂うつ。
どれも、あまりかわいくありません。
でも、湿気って本当は、暮らしている証拠でもあると思うのです。
お風呂に入ったから、浴室に湿気が残ります。
ごはんを炊いたから、キッチンに湯気が立ちます。
洗濯をしたから、部屋に水分が広がります。
お気に入りの服をしまっているから、クローゼットを守りたくなります。
つまり湿気は、生活が動いている証拠です。
完璧なモデルルームには湿気がありません。誰も住んでいないからです。でも、私たちの部屋には湿気があります。疲れて帰ってきた日も、コンビニの袋を置いたまま寝た日も、洗濯物をたたまず椅子にかけた日も、ちゃんと生活しているからです。
だから、除湿剤の水を見て「うわ、私の部屋やばい」と落ち込まなくてもいいのかもしれません。
それは、あなたが毎日を生きている跡です。
5月の半ばは、梅雨の準備を始めるにはちょうどいい時期です。衣替えのついでにクローゼットを開けたり、エアコンを試運転したり、下駄箱を少し風に当てたりするだけで、部屋の空気は少し変わります。
けれど私は、除湿剤を交換するとき、部屋だけじゃなくて自分の心も一緒に換気したくなるのです。
たとえば、もう着ない服を1枚手放す。
読んでいない通知をそっと消す。
合わない人のSNSを見に行かない。
「また今度」と言い続けていた予定を、ひとつだけ決める。
夜にスマホを見ながら反省会を始めそうになったら、今日はもう寝る。
それくらいでいいのです。
暮らしを整えるって、人生を完璧にすることではありません。
自分が呼吸しやすい場所を、少しずつ取り戻すことなのだと思います。
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満水の除湿剤を捨てたら、なぜか恋も終わりました
先週の夜、私はクローゼットの除湿剤を交換しました。
容器の中には、透明な水がたっぷりたまっていました。持ち上げると、思ったより重くてびっくりしました。
「こんな小さな箱が、こんなに抱えてたんだ」
そう思った瞬間、なぜか胸がきゅっとしました。
その日は、少しだけ気になる人からの返信を待っていた日でした。最後に送ったメッセージは、もう三日間未読のままでした。忙しいのかもしれない。返すタイミングを逃しただけかもしれない。そう思いながら、私は何度もスマホを開いていました。
でも、除湿剤の水を流しに捨てた瞬間、ふと思ったのです。
「あ、私もこれ、もう捨てていいんだ」
相手への気持ちを捨てる、というより。
期待しすぎて重くなった自分を、少し軽くしてあげたいと思ったのです。
排水口に流れていく水は、ただの湿気だったはずです。なのに、見えない我慢や、言えなかった寂しさや、期待してしまった夜まで一緒に流れていくようでした。
そしてそのあと、私はスマホを開いて、その人のトーク画面を非表示にしました。
ブロックはしませんでした。
削除もしませんでした。
ただ、毎日見える場所から少し離しました。
それだけなのに、部屋の空気が少し軽くなった気がしました。
翌朝、クローゼットを開けると、新しい除湿剤が白く静かに置かれていました。まだ水はたまっていません。空っぽで、頼りなくて、でもどこか清々しい姿でした。
そのとき私は、少し笑ってしまいました。
びっくりすることに、私が本当に交換したかったのは、除湿剤ではなく、自分の「待つ癖」だったのです。
湿気はまたたまります。
心もまた重くなります。
好きな人からの返信を待ってしまう夜も、きっとまたあります。
でも、そのたびに捨てればいいのです。
満水になる前に、気づいてあげればいいのです。
クローゼットの奥に置いた小さな除湿剤は、今日も静かに空気を吸っています。
そして私は思います。
人に見せるためのキラキラした暮らしより、誰にも見えない場所をそっと整えられる暮らしのほうが、案外、強くてやさしいのかもしれません。
除湿剤の水を捨てるだけの日。
そんな地味すぎる出来事が、30代の私には、少しだけ人生を変える儀式に見えたのです。

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