夜の洗面台で、シートマスクを貼るまでの私の小さな言い訳
夜の22時47分、洗面台の鏡に映った自分の顔を見て、思わず「今日も顔、置いてきた?」って小さく言ってしまった。帰ってきてバッグを床に置いたまま、冷蔵庫の麦茶を立ったまま飲んで、部屋着に着替える前にスマホを開いたら最後、気づけばソファの端っこで前髪だけ変な方向に折れていた。
お風呂上がりの肌は少しつっぱっていて、タオルの柔軟剤の匂いだけがやけに生活感を出してくる。こういう夜に限って、シートマスクの袋が目に入る。使えばいいだけなのに、その“使えばいいだけ”が妙に遠い日があるんだよね。
「今日はもう無理」と言いながら、なぜか鏡の前に立っている
仕事から帰ってきた瞬間って、なぜあんなに自分が薄くなるんだろう。
接客中はちゃんと笑えるし、「ありがとうございます」も自然に出るし、誰かの肌悩みを聞きながら「それなら保湿を少し足してみるのもいいかもしれませんね」なんて言えるのに、自分の顔の乾燥には見て見ぬふりをする日が普通にある。
これ、かなり人に言えない感情なんだけど、誰かには丁寧にできるのに、自分のことになると急に雑になる瞬間がある。
帰宅して、メイクを落とす前に一回ベッドへ座ったら危険信号。あれは座っているんじゃなくて、人生の一時停止ボタンを押している感じ。スマホを持ったまま、検索するでもなく、動画を見るでもなく、ただ親指だけが動いていて、画面の光で顔だけ青白くなる。
そこでふと、洗面所に置いてあるシートマスクを思い出す。
「貼るだけじゃん」
そう自分に言うんだけど、その貼るだけがなかなか始まらない。化粧水、美容液、乳液、クリーム……と並べる元気はない。でもシートマスクなら、袋から出して顔にのせるだけで、ちょっと“ちゃんとしてる私”のフリができる。
この“フリ”が、意外と助かる夜がある。
大容量の袋を見ると、なぜか生活を立て直せそうな気がする
最近気になっているのが、30枚入りの大容量タイプのシートマスク。
個包装のパックももちろん好き。旅行前とか、実家に帰るときとか、ポーチに1枚入っているだけで「私、準備できてる女です」みたいな顔ができる。
だけど家で毎日使うなら、密閉袋にまとまって入っているタイプのほうが、洗面台の引き出しに置きっぱなしにできて、存在を忘れにくい感じがする。
参考サイトで見たCICIBELLAのシートマスクも、1袋30枚入りで、1枚ずつ個包装ではなく密閉袋に入っているタイプだった。
ただ、ここで急に美容に詳しい人ぶるのも違うなと思う。
私は成分表を全部きれいに読み解けるタイプじゃないし、正直、夜の私は「肌にいいことをしたい」より「今日の自分を雑に終わらせたくない」に近い。
すごく美意識が高いからシートマスクをするというより、やらなかった日の自分への小さな後ろめたさを、顔にぺたっと貼ってごまかしているところがある。
小さな恥を言うと、シートマスクを貼ったまま冷蔵庫を開けて、残っていたプリンを見つめたことがある。
鏡に映る自分は、うるおいを求める人なのか、糖分を求める人なのか、もうよくわからなかった。しかもその顔で宅配の置き配通知を見に玄関まで行きかけて、「いや、今の顔は社会に出してはいけない」と自分で自分を止めた。
こういう瞬間、誰かに見られたら終わるけど、ひとり暮らしの夜にはわりとあるあるだと思っている。
アメブロで見かける“パックなんてなんぼあっても”の安心感
アメブロを見ていると、シートマスクってすごく生活に近いところで語られていることが多い。
ドラッグストアで見つけて買ったとか、楽天のセールでまとめて買ったとか、朝用と夜用を使い分けているとか、そういう日常の端っこに置かれている感じ。誰かの洗面台やポーチの中を少しだけのぞかせてもらうみたいで、読んでいて妙に落ち着く。
「パックなんてなんぼあってもええ」みたいな勢いの投稿を読むと、わかる……と声が出そうになる。
使い切れないほど買うわけじゃないのに、ストックがあるだけでなぜか気持ちが少し強くなる。冷蔵庫に卵があると安心するのと似ているかもしれない。シートマスクが洗面所にあると、どれだけボロボロで帰ってきても「まあ、あとで貼ればいいか」と思える。
もちろん、貼ったから明日の朝に急に人生が変わるわけじゃない。
婚活アプリの返信が来るわけでもないし、職場のモヤモヤが消えるわけでもないし、部屋の隅に置いたままの段ボールが自動で片づくわけでもない。そこはもう、シートマスクにも限界がある。さすがに段ボールまでは保湿できない。
でも、顔にシートをのせている10分くらいだけ、スマホを置く理由になることがある。
何かを頑張るための時間じゃなくて、これ以上こぼれないように両手で自分を押さえているような時間。目元のシートが少し浮いてきて、指で押さえながら「あ、今日けっこう疲れてたんだな」とやっと気づく。
そういう遅れてくる本音って、夜の洗面台でしか出てこない気がする。
続けるための美容って、少し雑なくらいがちょうどいい夜もある
シートマスクを使うたびに思うのは、きれいな生活をしている人だけが使うものじゃなくて、むしろ生活がちょっと散らかっている人の味方でもあるのかもしれない、ということ。
洗濯物をたたむ前に貼ってもいいし、髪を乾かす前に貼ってもいいし、部屋の照明を少し落として、湯気の残る洗面所でぼんやり貼ってもいい。
完璧な順番じゃなくても、肌が「まあ、今日はこれで許すよ」と言ってくれたら、それで少し救われる夜がある。
私はたぶん、毎日きちんと美しく暮らしたいわけじゃなくて、崩れた日にも戻れる場所がほしいだけなのかもしれない。
仕事で笑いすぎた日、婚活アプリの会話が急に途切れた日、友達の幸せな報告を心から喜びながら、帰り道の電車で少しだけ胸がきゅっとした日。
そんな夜に、洗面台の隅で待っているシートマスクを見ると、「はいはい、顔だけでも回収しますか」って自分に言える。
自分へのツッコミ込みで、なんとか保っている。
美容って聞くと、もっと前向きで、もっときらきらしていて、もっと余裕のあるものみたいに見えるけど、私の夜のシートマスクはそんなにまぶしくない。
むしろ、冷めたお茶と、乾きかけのバスタオルと、未読のLINEと一緒にある。
それでも顔にのせた瞬間、少しだけ呼吸が浅かったことに気づく。
あのひんやりした感じが、肌というより気持ちの表面に触れてくる日がある。
明日の朝、鏡を見て何を思うかはまだわからない。
ただ今夜は、はがしたシートマスクを捨てる前に、もう少しだけ洗面台の前に立っていたくなる。

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