連休明けの部屋で、なぜか「まだ冬の毛布」をしまえない私へ
毛布をしまえない朝に、女の本音はふわっと現れます
5月6日の朝です。昨日5月5日は暦の上で夏が始まる「立夏」でした。外では日差しが少し強くなり、駅まで歩くだけで前髪の内側にじんわり汗を感じる季節です。けれど部屋のすみには、まだ冬の毛布がいます。
正直に言うと、もう使っていないのです。夜もそこまで寒くありません。むしろ寝る前にスマホを見ながら、足だけ布団から出している日もあります。それなのに、なぜか毛布だけは片づけられません。
このテーマを記事にしようと思ったのは、連休明けの朝、ベッドの端に丸まった毛布を見たときでした。誰も注目しません。映えません。恋愛にも仕事にも直接関係なさそうです。でも、なぜか見た瞬間に胸の奥が少しだけ静かになりました。
大人になると、季節の切り替えはカレンダー通りには進みません。世間は立夏です。お店には半袖が並び、SNSには初夏のカフェ写真が流れ、友達は「そろそろサンダル出した」と言います。なのに私は、まだ毛布をしまえないままです。
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片づけられないのではなく、急に強くなれないだけです
連休明けの朝は、なぜこんなに心が置いていかれるのでしょうか。カレンダーは平日に戻っているのに、体の中だけまだ休みの端っこを握っています。
そんな朝、ベッドの横に毛布があるだけで、少し安心します。もう包まって寝るわけではないのに、視界にあるだけで「帰れる場所」がそこにある気がするのです。
大人の女性は、思っている以上に毎日いろいろな役をこなしています。職場ではちゃんとしている人。
友達の前では聞き上手な人。家族には元気そうな人。恋愛や婚活では、重く見えないように笑える人。
だからこそ、部屋に戻った瞬間だけは、少しだけ何かに甘えたいのです。毛布は、こちらの失敗を責めません。返事が遅くても怒りません。疲れてメイクを落とす前に床に座り込んでも、なにも言いません。
片づけられないものには、だいたい理由があります。高かったから、まだ使えるから、捨て方がわからないから。けれど毛布の場合はもっとややこしいです。「もう少しそばにいてほしいから」です。
初夏の部屋に残る冬物は、心の未読メッセージです
5月の部屋は、意外と矛盾だらけです。窓を開けると風は気持ちいいのに、夜になると足元が少し冷えます。昼間はアイスコーヒーを選ぶのに、朝はまだ温かいお茶が飲みたくなります。
季節が混ざっている部屋は、心が散らかっているように見えるかもしれません。でも私は最近、それを少し違う目で見るようになりました。これは散らかりではなく、移行中なのだと。
人は、昨日までの自分を一気に脱げません。冬に耐えていた自分、春に少し浮かれていた自分、連休で気がゆるんだ自分、休み明けにまた背筋を伸ばそうとしている自分。その全部が、部屋の中に物として残っています。
毛布はその代表です。もう出番は少ないのに、存在感だけは妙にあります。部屋の中で「私はまだここにいます」と言っているみたいです。
しまう前に、一度だけ毛布を抱きしめてみます
私は今年、毛布をただ洗ってしまうのではなく、一度だけちゃんと抱きしめてみようと思いました。少し大げさですが、冬を一緒に越えた相棒に挨拶する感じです。
寒い夜、早く寝ればいいのにスマホを見続けたこと。仕事でへこんで、電気もつけずにベッドへ倒れ込んだこと。婚活アプリの通知に期待して、でも返事が来なくて、なぜか毛布の中で強がったこと。
毛布は全部見ていました。たぶん、部屋の中でいちばん私の情けない顔を知っています。
そう考えると、しまうという行為が少しやさしくなります。不要なものを押し込むのではなく、役目を終えたものに「ありがとう」と言って休ませる感じです。
毛布を畳む前に、部屋の窓を少し開けます。初夏の風を入れます。カーテンがゆっくり揺れて、部屋の空気が少しだけ入れ替わります。その中で毛布を抱きしめると、なんだか冬の自分が小さく手を振っているような気がします。
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でも本当は、毛布をしまえなかった理由が別にありました
ここまで私は、毛布をしまえない理由をずっと心の問題だと思っていました。安心したいから。冬の自分に別れを告げられないから。季節の変わり目に、少しだけ置いていかれているから。
ところが先日、思い切って毛布を洗おうと持ち上げた瞬間、びっくりするものが出てきました。
毛布の下から、小さな封筒が落ちたのです。
白い封筒に、少し歪んだ字で「来年の私へ」と書いてありました。完全に忘れていました。去年の冬の終わり、たぶん夜中のテンションで書いた自分宛ての手紙です。
開けると、中にはたった一行だけ書いてありました。
「毛布をしまえるくらい元気になっていたら、今年はちゃんと夏を楽しんでください。」
読み終えた瞬間、笑ってしまいました。去年の私は、未来の私がキラキラした大人になっていると信じていたのかもしれません。実際の私は、連休明けに寝ぐせをつけたまま、毛布の下から出てきた封筒を持って固まっているだけです。
でも、その一行を読んで気づきました。私は毛布をしまえなかったのではありません。去年の自分からの手紙を、無意識に守っていたのです。
その日、私は毛布を洗いました。洗濯機が回る音を聞きながら、冷蔵庫に残っていた炭酸水を飲みました。特別なことは何も起きていません。でも、少しだけ夏の入口に立てた気がしました。
毛布をしまうことは、冬を終わらせることではありません。冬の自分を連れて、夏へ進むことでした。
もしあなたの部屋にも、まだしまえない冬物があるなら、すぐに責めなくて大丈夫です。それは怠け心ではなく、あなたが自分を守ってきた跡かもしれません。
毛布をしまう日は、ただの片づけの日ではありません。
「もう少し生きやすくなってもいいよ」と、自分に言ってあげる日なのです。

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