GW休業のお知らせを読むだけで、なぜか自分の人生まで棚卸ししてしまう夜
「お店は休めるのに、私は私を休ませるのが下手です」
ただの休業案内なのに、なぜか胸に刺さる瞬間があります
ゴールデンウィークが近づくと、街のあちこちで「休業のお知らせ」を見るようになります。
クリニックの入口。
美容室のレジ横。
いつも行くパン屋さんの小さな黒板。
ネットショップのトップページ。
不動産屋さんの窓ガラス。
そこにはだいたい、こう書かれています。
「誠に勝手ながら、下記期間を休業とさせていただきます」
私はこの「誠に勝手ながら」という言葉を見るたびに、少しだけうらやましくなります。
勝手でいいんだ。
休んでいいんだ。
お知らせさえ出せば、ちゃんと閉じてもいいんだ。
そんなふうに思ってしまうのです。
もちろん、お店の人たちだって簡単に休んでいるわけではないと思います。休業前には仕込みもあるし、予約調整もあるし、お客様対応もあるし、再開後の準備もあるはずです。
それでも、表に出ている言葉はとても静かです。
「休みます」
たったそれだけなのに、なんだか強いのです。
私はというと、休むのが本当に下手です。
何も予定がない日でも、朝からスマホを見て、誰かの連休の過ごし方を見て、勝手に比べて、勝手に疲れてしまいます。
旅行に行く人。
帰省する人。
家族でバーベキューをする人。
恋人と新幹線に乗る人。
朝から丁寧に掃除をして、昼にはカフェラテを飲んでいる人。
画面の向こうでは、みんな何かをしているように見えます。
私は洗濯機の終了音を聞きながら、まだ干していない洗濯物を見て、「私の人生、連休なのに通常営業すぎない?」と思ってしまうのです。
今日は5月2日です。
暦の上では春も深まり、八十八夜のころです。茶摘みの歌を思い出すような季節で、新茶の香りが似合う時期です。
本当なら、窓を開けて、少し涼しい風を入れて、温かいお茶でも飲めばいいのです。
でも現実は、部屋着のまま、スマホの充電だけが100%で、私の気力は18%くらいです。
この差が、なんとも令和の女の日常です。
休業日を見ているうちに、自分の「営業日」が気になってきました
ある夜、私はいつものように近所のお店の営業時間を調べていました。
目的は、ただひとつです。
連休中にどこかで詰まないためです。
スーパーは開いているのか。
薬局は何時までなのか。
皮膚科はいつから休みなのか。
美容室は予約できるのか。
いつものカフェは営業しているのか。
調べているうちに、ふと思いました。
私は、私の営業日をちゃんと把握しているのだろうか、と。
たとえば仕事の日。
これは明らかに営業日です。
人に会う日。
これも営業日です。
婚活アプリでメッセージを返す日。
これは、かなり営業日です。むしろ精神的には繁忙期です。
実家から電話が来る日。
これも営業日です。内容によっては決算期です。
友達の幸せ報告を聞く日。
これは祝福したい気持ちと、自分の心を守る気持ちが同時に動くので、かなり高度な接客日です。
では、何もしない日は休業日なのでしょうか。
たぶん違います。
何もしない日なのに、頭の中ではずっと営業している日があります。
「そろそろ将来のこと考えないと」
「貯金このままで大丈夫かな」
「肌の調子悪いの、年齢のせいかな」
「このまま独身だったらどうしよう」
「いや、そもそも結婚したいのかもわからない」
「でも一人でいる老後も不安」
「ていうか冷蔵庫の豆腐、賞味期限いつだっけ」
心の中の従業員が、全員出勤しているのです。
しかも誰もタイムカードを切っていません。
だから疲れるのだと思います。
体はソファにいるのに、心はずっとレジ対応をしているのです。
お客様は、過去の後悔と未来の不安です。
どちらもなかなか帰ってくれません。
休業のお知らせは、お店のためだけのものではないのかもしれません。
人にも必要なのです。
「本日、心の在庫確認のため休業いたします」
「本日、他人との比較を棚卸しするため休業いたします」
「本日、未来への過剰な問い合わせに対応できません」
そんな貼り紙を、自分の内側に貼れたら、どれだけ楽でしょうか。
令和の大人女性は、休んでいるふりがうますぎます
私は昔、「大人になったら休み方が上手になる」と思っていました。
でも実際は、逆でした。
大人になるほど、休んでいるふりだけが上手くなります。
友達には「今日はゆっくりする」と言います。
SNSには何も投稿しません。
予定表は空白です。
外から見れば、完全に休んでいます。
でも心の中では、ずっと小さな会議が開かれています。
議題はだいたい重めです。
「このまま今の仕事でいいのか問題」
「肌管理にどこまで課金するか問題」
「婚活疲れを婚活で解決しようとしていないか問題」
「老後資金という言葉、急に怖すぎる問題」
「人の幸せを素直に喜べる日と、喜べない日の差が激しい問題」
誰も議長を頼んでいないのに、脳内会議は勝手に始まります。
しかも休憩なしです。
それなのに私は、休んでいる自分にすらダメ出しをします。
せっかくの休みなのに、何もしていない。
せっかくの連休なのに、出かけていない。
せっかく時間があるのに、ブログも書けていない。
せっかく天気がいいのに、布団も干していない。
「せっかく」という言葉は、優しそうに見えて、けっこう圧が強いです。
せっかくの休み。
せっかくの春。
せっかくの30代。
せっかく女に生まれたんだから。
せっかく自由なんだから。
その「せっかく」に、私はときどき追い詰められます。
自由なはずなのに、自由を使いこなせていない気がしてしまうのです。
でも、よく考えたら、自由には説明書がありません。
洗濯機には説明書があります。
スマホにも設定画面があります。
美容液にも使用方法があります。
でも、自分の休ませ方には、誰も説明書をつけてくれません。
だから私たちは、だいたい見よう見まねで休んでいます。
誰かの休日を見て、真似しようとする。
誰かの朝活を見て、焦る。
誰かの旅行写真を見て、自分の部屋の静けさを責める。
けれど、本当に必要なのは、誰かみたいに過ごすことではなく、自分の心の営業時間を短くしてあげることなのかもしれません。
今日は10時開店、15時閉店。
問い合わせ対応は明日以降。
恋愛相談は予約制。
将来不安の持ち込みは1日1件まで。
それくらい、自分に都合よくしてもいいのです。
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最後に気づいたのは、私が休ませたかったのは体ではありませんでした
その日、私は試しに、自分用の休業案内を書いてみることにしました。
スマホのメモ帳に、ぽちぽちと入力しました。
「誠に勝手ながら、本日は人と比べる業務を休業いたします」
少し笑いました。
次に、こう書きました。
「なお、過去の失敗に関するお問い合わせは、現在受け付けておりません」
ちょっと楽しくなってきました。
さらに書きました。
「将来への不安につきましては、担当者不在のため、明日以降の対応となります」
ここまで書いたところで、私は急に泣きそうになりました。
ふざけて書いていたはずなのに、どこか本音だったのです。
私はずっと、誰かにこう言ってほしかったのかもしれません。
今日はもう対応しなくていいよ。
今日はもう考えなくていいよ。
今日はもう比べなくていいよ。
今日はもう、ちゃんとしなくていいよ。
休みたいのは、体だけではありませんでした。
私が本当に休ませたかったのは、「ちゃんとして見える私」だったのです。
外では笑う私。
仕事では気を配る私。
婚活では感じよく返事をする私。
友達の前では明るくいる私。
家族には大丈夫そうに見せる私。
ブログでは前向きな言葉を選ぶ私。
その全部が、少しずつ営業中でした。
だから疲れていたのです。
ここで、私はふと思いつきました。
せっかくだから、玄関の内側に小さな紙を貼ってみよう、と。
もちろん誰にも見せません。
来客もほとんどありません。
完全に自分だけのための貼り紙です。
白いメモ用紙に、黒いペンで書きました。
「本日、私というお店は休業日です」
それを玄関の内側に貼った瞬間、なぜか部屋が少しだけ静かになった気がしました。
そして翌朝、私はその紙を見て、びっくりしました。
昨夜の私は、最後にもう一行だけ書き足していたのです。
「ただし、幸せの受け取りだけは営業しています」
それを見た瞬間、私は笑ってしまいました。
休業日なのに、幸せだけは受け取る気満々なのです。
なんて都合がいいのでしょう。
でも、たぶんそれでいいのです。
休むというのは、全部を閉じることではないのかもしれません。
無理な対応をやめて、いらない比較を閉じて、過去のクレーム窓口を閉鎖して、それでも小さなうれしいことだけは受け取れる状態にしておくこと。
それが、大人の女性に必要な「心の休業日」なのだと思います。
連休にどこにも行かなくてもいいです。
誰かみたいな朝を過ごさなくてもいいです。
予定が空白でも、人生が空白なわけではありません。
むしろ、何もない日だからこそ、自分の中に小さな貼り紙を出せるのです。
「今日は休みます」
その一言を、自分に許してあげるだけで、少しだけ呼吸が深くなります。
そしてもし余裕があれば、最後にこう足しておきたいです。
「幸せの受け取り窓口は、年中無休です」
なんだか急に、冷めたお茶までおいしく感じました。

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