なぜか捨てられない「家具についてきた六角レンチ」と、私の春の未練
いつの間にか増えている、小さな銀色の記憶
引き出しの奥を整理していたら、また出てきました。
家具を買ったときについてくる、あの小さな六角レンチです。
名前は知っているのに、人生で主役にしたことは一度もない道具。
ドライバーほど頼もしくもなく、ハサミほど日常的でもなく、ペンのように可愛げもない。
ただ、銀色で、細くて、妙に無口です。
私はそれを見つけるたびに、なぜかすぐには捨てられません。
「いつか使うかもしれない」
この言葉、家の中でいちばん危険な呪文だと思います。
服にも言います。
紙袋にも言います。
謎の充電コードにも言います。
そして、六角レンチにも、しっかり言います。
4月27日。
春の雨が少し残る、穀雨の頃です。
暦の上では、草木が水を吸ってぐんぐん伸びる季節なのに、私の引き出しの中では、使われない六角レンチだけが静かに増殖していました。
外では新生活の空気。
駅前にはまだ少し緊張した顔の新社会人らしき人がいて、カフェでは新しい手帳を開いている人がいて、世の中はちゃんと前に進んでいる感じがします。
なのに私は、部屋着のまま床に座って、銀色の棒を一本ずつ並べていました。
何をしているんだろう、私。
そう思いながらも、ちょっと笑ってしまいました。
だって、人生ってこういうものかもしれません。
大きな夢や恋愛や仕事の悩みより先に、今日は引き出しの六角レンチが気になる日があるのです。
捨てられないのは道具じゃなくて「あの時の自分」でした
六角レンチを見ていると、買った家具の記憶が少しずつ戻ってきます。
一人暮らしを始めた頃に買った棚。
夜中にひとりで組み立てて、途中でネジの向きを間違えて、半泣きになったこと。
「こんな簡単な家具も作れないのか」と落ち込んだこと。
でも完成した瞬間、誰にも見せる相手はいないのに、なぜか写真を撮ったこと。
あの棚はもう処分したのに、六角レンチだけが残っている。
なんだか、別れた人の連絡先だけ消せずにいるみたいです。
使わない。
でも、消せない。
必要ない。
でも、なかったことにはできない。
私はたぶん、六角レンチを捨てられないのではなくて、その頃の自分を雑に捨てたくなかったのだと思います。
不器用で、要領が悪くて、すぐ疲れて、でもどうにか自分の部屋を自分の場所にしようとしていた私。
誰にも褒められない組み立て家具を前に、ひとりで汗をかいていた私。
あの頃の私は、今より少し貧乏で、今より少し怖がりで、今より少しだけ希望に素直でした。
そんな自分が使ったかもしれない道具を、ゴミ袋に入れるのが、少しだけ寂しかったのです。
大人になると、思い出の残り方が変になります。
写真でもなく、手紙でもなく、プレゼントでもなく、なぜか六角レンチ。
可愛くない。
映えない。
でも、妙に刺さる。
令和の暮らしは、断捨離とかミニマルとか、すっきりした言葉がとても似合います。
もちろん、私も憧れます。
白い部屋。
余白のある棚。
床に物が落ちていない生活。
でも現実の私の引き出しには、いつのものかわからない六角レンチが4本ありました。
しかも全部、微妙にサイズが違います。
まるで、私の過去の迷いにもサイズ違いがあるみたいです。
最後に残った一本が、まさかの未来を開けました
全部捨てよう。
そう決めました。
私はティッシュの空き箱を簡易ゴミ箱にして、六角レンチを一本ずつ入れていきました。
カラン。
カラン。
軽い音がしました。
思い出って、捨てるときは意外と軽い音がするんですね。
最後の一本だけ、少し形が違いました。
よく見ると、端に小さなテープが巻いてありました。
昔の私が何か目印にしたのでしょうか。
全然覚えていません。
でも、そのテープをはがした瞬間、小さな紙がくっついていました。
そこには、薄いボールペンの字でこう書いてありました。
「次に引っ越すとき、ちゃんと幸せになってること」
一瞬、手が止まりました。
え、怖い。
いや、怖いというより、恥ずかしい。
過去の私、急にポエマーすぎます。
でも次の瞬間、笑えませんでした。
たぶんあの頃の私は、本気でそう思っていたのです。
今の部屋は仮の場所。
今の自分も仮の姿。
いつかもっと整った部屋で、もっと整った心で、ちゃんと幸せになっているはず。
そう信じたくて、小さな六角レンチに願掛けみたいなことをしたのでしょう。
私はその紙を見ながら、部屋を見渡しました。
洗濯物はまだ畳んでいない。
シンクにはマグカップがある。
スマホの充電コードは床で少しねじれている。
完璧な部屋ではありません。
でも、不思議と、そんなに悪くないと思いました。
過去の私が想像していた「ちゃんと幸せ」とは違うかもしれません。
結婚しているわけでもない。
毎日丁寧に暮らしているわけでもない。
朝から白湯を飲んでヨガをしているわけでもない。
むしろ昨日の夜は、メイクを落とす前にソファで寝かけました。
でも私は今日、自分の引き出しを開けました。
捨てられないものを見つめました。
昔の自分の小さな願いを、ちゃんと読んであげました。
それだけで、少し未来に進んだ気がしました。
そして、ここからが本当にびっくりした話です。
その六角レンチ、結局まだ捨てていません。
なぜなら、その日の夜、急にベッドの脚がゆるんだからです。
嘘みたいなタイミングでした。
ギシッと音がして、確認したらネジが少し浮いていました。
私は慌てて、あの最後の一本を取り出しました。
サイズは、ぴったりでした。
過去の私、まさかの有能。
「いつか使うかもしれない」は、だいたい嘘です。
でも、たまに本当になります。
だから厄介です。
私はベッドのネジを締めながら思いました。
捨てることだけが、前に進むことじゃないのかもしれません。
残すことも、執着ではなく、たまに自分を助ける準備になるのかもしれません。
ただし、4本はいらない。
人生も引き出しも、全部は抱えなくていい。
でも、本当に自分を支えてくれる一本だけは、残してもいい。
春の終わり、立夏の少し手前。
私は六角レンチを一本だけ、小さな袋に入れて工具箱に戻しました。
そして紙には、新しくこう書き足しました。
「ちゃんと幸せ、たぶんもう始まってる」

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