電気使用量アプリの小さな棒グラフに、なぜか人生を見られている気がした春です
昨日より少ない電気使用量に、謎の達成感を覚えた夜です
帰宅して、靴を脱いで、バッグを床に置いた瞬間に、私は今日もちゃんと疲れていました。
ちゃんと疲れる、という言い方も変ですが、最近の私は、疲れ方だけは妙に律儀です。
朝は仕事に行き、昼は人に感じよく接し、夕方には誰かの機嫌を察し、夜には自分の機嫌だけが置き去りになります。
そんな日、スマホを開いて最初に見るのが、SNSでも婚活アプリでもなく、電気使用量のアプリになっていました。
我ながら、地味すぎます。
映えるカフェでも、新作コスメでも、可愛い春服でもありません。
ただの棒グラフです。
しかも、昨日の電気使用量が、前日より少しだけ低い。
たったそれだけなのに、私はなぜか「勝った」と思いました。
誰に勝ったのかは分かりません。
電力会社でしょうか。
昨日の自分でしょうか。
それとも、何も変えられないと思い込んでいた生活そのものでしょうか。
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4月25日。
暦の上では春も深まり、二十四節気では穀雨の頃です。
春の雨が百穀を潤す季節だと言われるのに、私の部屋で潤っているのは観葉植物ではなく、洗濯待ちのタオルだけでした。
外では新緑がふくらみ、世の中はゴールデンウィーク前の少し浮ついた空気です。
でも、私の部屋では、電気使用量の棒グラフだけが静かに上下していました。
その小さな棒を見ながら、私は思いました。
私、今日ちょっとだけ生活を支配できたかもしれないです。
エアコンをつけっぱなしにしなかった。
洗濯乾燥を我慢した。
電子レンジを使う前に、冷蔵庫の中身を3秒見つめた。
たったそれだけです。
でも、誰にも褒められない一人暮らしの中で、その棒グラフだけが「昨日より少なかったですよ」と言ってくれている気がしました。
もちろん、電気使用量が少ないから偉いわけではありません。
節約できる人が正しくて、できない人がだらしないわけでもありません。
むしろ疲れた日は、電気の力を借りまくっていいと思います。
でも、自分の生活があまりにもぼんやりしている時、数字だけが輪郭をくれることがあります。
私は今日、どれくらい家にいたのか。
どれくらい動けなかったのか。
どれくらい便利さに頼ったのか。
どれくらい自分を甘やかしたのか。
電気使用量のグラフは、家計簿よりも正直で、日記よりも無口です。
そこが少し怖くて、少し優しいのです。
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節約ではなく、自分の暮らしのクセが見えてしまう怖さです
電気使用量アプリを見始めてから、私は自分の生活のクセに気づくようになりました。
金曜日の夜だけ、使用量が跳ねます。
理由は分かっています。
洗濯機を回し、乾燥までかけ、冷凍ごはんを温め、ついでに湯船もためるからです。
つまり、金曜日の私は「平日の後始末」を電気に押しつけています。
月曜日の朝も、少し高いです。
ヘアアイロンを長めに使うからです。
週明けの私は、顔よりも髪のうねりを整えることで、なんとか社会に出ようとしています。
水曜日は、なぜか低めです。
疲れすぎて何もしないからです。
料理もしない。
洗濯もしない。
照明もつけたまま寝落ちするほどの元気すらなく、早々に布団へ沈むからです。
低い数字が、必ずしも丁寧な暮らしとは限りません。
ここが、このアプリの怖いところです。
数字だけ見ると、私は節約上手に見える日があります。
でも実際は、何もできなかった日だったりします。
逆に使用量が多い日は、だらしない日ではなく、ちゃんと生活を立て直そうとした日だったりします。
洗濯して、炊飯して、掃除機をかけて、お風呂に入って、髪を乾かした日。
つまり、電気を使った日は、私が私のために動いた日でもあります。
そう思うと、電気代をただの敵にできなくなりました。
毎月の請求額を見ると、もちろん胸はざわつきます。
「また上がってる」と思います。
でも同時に、そこには私が何とか生活していた証拠も詰まっています。
夜中に温めた冷凍うどん。
朝に慌てて乾かした髪。
休日にまとめて洗ったシーツ。
落ち込んだ日に何時間もつけていた間接照明。
全部、誰にも見せない私の暮らしです。
SNSに載せるほど美しくないけれど、確かに私を生かしていた時間です。
私は以前、節約という言葉が少し苦手でした。
なんとなく、自分を削る感じがしたからです。
我慢して、切り詰めて、楽しみを減らして、正しい人になる。
そんなイメージがありました。
でも、電気使用量のグラフを見ていると、節約というより「観察」に近い気がしてきます。
私は何に疲れるのか。
何を後回しにするのか。
どんな日に自分を甘やかすのか。
どんな日に部屋を整えたくなるのか。
それが少しずつ見えてきます。
30代になると、誰かに生活を見張られることは減ります。
親に「電気消しなさい」と言われることもありません。
誰かが冷蔵庫の中身を確認してくれることもありません。
自由です。
でも、その自由の中で、私はときどき自分を見失います。
ちゃんと暮らしているのか。
ただ消耗しているだけなのか。
自分を大事にしているのか。
便利さでごまかしているだけなのか。
そんな曖昧な問いに、電気使用量の小さな棒グラフが、妙に現実的な顔で立っているのです。
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私が見ていたのは電気代ではなく、ひとりで頑張った証拠でした
ある夜、私はいつものように電気使用量アプリを開きました。
その日は、やけに使用量が高い日でした。
心当たりはあります。
朝から洗濯を2回しました。
シーツも洗いました。
掃除機もかけました。
お風呂もためました。
作り置きのために電子レンジも何度も使いました。
つまり、生活をちゃんと回した日でした。
それなのに、数字を見た瞬間、私は少し落ち込みました。
「ああ、また使いすぎた」と思ったのです。
でも次の瞬間、ふと変なことに気づきました。
その高い棒グラフの日だけ、私は夜に泣いていませんでした。
部屋が少し片づいていて、髪も乾いていて、湯船にも入っていて、翌朝のごはんもありました。
完璧ではないけれど、私は私を放置していませんでした。
電気代は上がったかもしれません。
でも、そのぶん私は自分を少し救っていました。
そこで初めて、私は自分がずっと勘違いしていたことに気づきました。
私は電気使用量を減らしたかったのではありません。
自分の生活が、どこかへ流されていくのを止めたかっただけです。
数字を見ていたのではなく、私が私をちゃんと扱えているかを見ていたのです。
そして、ここから少しだけ読者を裏切る話をします。
私はこのアプリを見ながら、節約に目覚めたわけではありません。
むしろ逆でした。
翌日、私は小さな間接照明を買いました。
節電の話をしておいて、照明を増やしたのです。
自分でも少し笑いました。
でも、その照明をつけた夜、部屋の空気が少しだけやわらかくなりました。
天井の白い光ではなく、床に近い場所からぽっと灯る小さな明かり。
それだけで、帰宅した部屋が「作業場」ではなく「帰ってくる場所」に見えました。
電気使用量は、ほんの少し増えたかもしれません。
でも、私の心の消耗は少し減りました。
そこで思ったのです。
節約って、全部を減らすことではないのかもしれません。
減らすものと、残すものを選ぶことなのかもしれません。
私はこれまで、生活の無駄をなくしたいと思っていました。
でも本当は、無駄に見えるものの中に、私を保つものが混ざっていました。
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夜の照明。
少し長めのドライヤー。
疲れた日の電子レンジ。
休日の洗濯乾燥。
それらは、誰かから見ればただの電気代かもしれません。
でも、私にとっては「今日もなんとか自分を嫌いにならずに済んだ代金」でした。
4月の終わり、春の雨が静かに降る夜に、私は小さな照明の下でスマホを見ました。
電気使用量の棒グラフは、相変わらず無表情です。
でも、私はもうその数字に責められている気がしませんでした。
むしろ、こう言われている気がしました。
「今日も生活していましたね」
それだけで、少し泣きそうになりました。
バズるテーマというのは、もしかしたら大きな出来事ではないのかもしれません。
誰も書かなさそうな小さな画面。
誰にも見せない棒グラフ。
そこに、自分でも気づいていなかった本音が映ることがあります。
電気使用量アプリなんて、普通はブログの主役になりません。
でも、だからこそ書きたいと思いました。
キラキラした暮らしではなく、請求額に少し怯えながら、それでも小さな灯りをつける暮らし。
それが今の私には、いちばんリアルで、いちばんやさしい春の話に思えたのです。
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