「ありがとう」の一言がないとしんどくなります



夜の九時すぎ、メイクを落としたあとの洗面所って、なんであんなに現実が近いんだろうと思うことがあって、白いライトに照らされた自分の顔を見ながら、今日もちゃんと働いたはずなのに、なんか気持ちだけ置いてけぼりみたい、って思う日があります。

ドラッグストアで買ったクレンジングのぬるっとした感触が指に残っていて、洗濯機の終わる音が奥のほうで鳴っていて、スマホには特にうれしい通知もなくて、なのに頭の中では、昼間のあの一瞬だけが、変にくっきり残ってたりするんですよね。

別に、大したことじゃないんです。

ほんとに、文字にしたら笑っちゃうくらい小さいことで、手伝ったとか、気を回したとか、代わりにやっておいたとか、その程度のことなんですけど、それが終わったあとに何もないと、あれ、今のって空気だったのかな、みたいな気持ちになることがあって。

私、こんなことでしんどくなるの、器ちっちゃいなって自分で自分にツッコミたくなるんですけど、でもしんどいものはしんどいんですよね、ちゃんと。



たぶん私は、言葉そのものが欲しいんじゃない

この前、仕事ですごくバタバタしていた日があって、予約は詰まってるし、店内はなんとなくせわしないし、バックヤードでは段ボールが半分開いたまま積まれていて、誰が何をどこまでやったのか、ちょっと曖昧な午後があったんです。

そういう時って、なぜか気づいた人がやる流れになるじゃないですか。

私もつい、その“気づいた人”側にまわってしまって、頼まれてないことまで先に片づけて、あとで自分の首をしめるタイプなんですけど、その日もきれいにそうなってました。

ゴミをまとめて、備品を補充して、レジまわりを整えて、あ、これ誰か困るかも、って思ったことを先に埋めていって、気づけば小さな穴埋めばっかりしてたんですけど、そういうのって、ほんとに誰にも見えないんですよね。

見えないっていうか、見えてても、流れていく。

それで、業務が一段落したあと、みんな普通に次の話をしていて、私も普通の顔してそこにいたんですけど、なんか胸のあたりだけ、置いていかれた感じがして。

ありがとうって、言葉そのものが欲しかったのかなって考えると、たぶん少し違う気もしていて、たぶん私は、「あ、いま私がやったこと、ちゃんと世界に触れてたんだ」って感じたかっただけなんだと思います。

こんな言い方すると、急に面倒な女っぽいんですけど、でも人って案外そうじゃないですか。

がんばったことを褒めてほしいとか、認めてほしいとか、そういう大げさなものじゃなくて、ちゃんと届いてた、って確かめたいだけの時があるというか。


近い人ほど、なかったことみたいに刺さる

これ、不思議なんですけど、知らない人に素っ気なくされるより、ちょっと近い人にサラッと流されるほうが、地味に効きませんか。

職場の人でも、友達でも、たまにやり取りしてる相手でも、距離が近いぶんだけ、こっちが勝手に期待してしまうのかもしれなくて。

婚活してると、そこもけっこうあるんですよね。

デートのあとに、今日はありがとう、楽しかったよ、の一言があるだけで、こっちの疲れがすっと軽くなるのに、何事もなかったみたいに次の連絡だけ来ると、あれ、私って今日、ただ予定を消化した人だったのかな、みたいな気持ちになることがあって。

いや、わかってるんです。

相手に悪気がないこともあるし、照れくさいだけかもしれないし、仕事で余裕がなかったのかもしれないし、そもそも“ありがとう”を言葉にする習慣がない人もいるんだろうなって。

そこまで想像できる日もあるんですけど、できる日とできない日があるんですよね。

生理前とか、寝不足の日とか、仕事で一回小さく傷ついた日の夜とか、そういう時はもう、たった一言ないだけで、心の中が妙に荒れるんです。

しかもその荒れ方が、私すごく性格悪いかも、みたいな方向に向くのがまた面倒で。

“言ってくれて当然って思ってるの?”
“見返りほしくてやったの?”
“そんなことでしんどいって言うの、重くない?”

頭の中の意地悪な声、急にフルメンバーで出てくるんですよね。

でも本当は、そこまで立派な話じゃなくて、ただ寂しかっただけだったりするんです。


「私はちゃんとしてる」の副作用かもしれない

昔から、わりとちゃんとして見られるほうでした。

職場でも、きちんとしてるよね、とか、気が利くよね、とか、落ち着いてるよね、とか言ってもらうことが多くて、それ自体はありがたいんですけど、その言葉に乗っかってるうちに、自分でも“ちゃんとしてる側”でいなきゃいけない気がしてしまって。

だから、ありがとうがなくて寂しいです、なんて、ちょっと言いづらいんですよね。

そんなこと気にするんだ、って思われたくないし、もっとサラッとしてたいし、大人っぽく流せる人でいたいし。

でも家に帰ると、お風呂入る前にベッドに転がってスマホ見ながら、いや普通にひとことくらい欲しかったけど?って、心の中だけめちゃくちゃ口悪くなってたりするので、昼間の私と夜の私、たぶん別人です。

しかもそのあと、コンビニで買ったちょっと高いアイス食べながら、「ありがとう待ちの女って何」って自分で笑って、でも笑ったあとに少しだけ虚しくなる、みたいな流れまでセット。

あるあるすぎて、たぶん私だけじゃない気もしています。

しっかりしてると思われる人ほど、しっかり受け止めすぎて、でも平気な顔だけはうまくて、そのぶん、言葉がなかった時に勝手にひとりで沈んでること、あるんじゃないかなって。



言わない側にも、たぶん言えない事情がある

ここまで書いておいてあれなんですけど、私も言えてない側のこと、普通にあります。

コンビニで袋いりますかって聞かれて、いりません、だけで終わってしまったあととか、職場で誰かが先回りしてくれてたのに、助かりましたを飲み込んだまま次の会話に行っちゃった時とか、帰り道でふと、あ、私さっき感じ悪かったかも、ってなることがあるんですよね。

余裕がないと、人って受け取るのも伝えるのも雑になるんだなって、自分を見てると思います。

だから、言ってくれなかった相手も、ただ雑な日だっただけかもしれないし、照れくさかっただけかもしれないし、ほんとに気づいてなかっただけかもしれない。

そう思えたら少し楽なんですけど、それでも、じゃあ傷つかないかというと、別の話なんですよね。

理解はできるけど、平気ではない、みたいな。

大人になると、そういう半端な気持ちが増える気がします。

白黒つけられないし、誰かを責めたいわけでもないし、でも自分の中のしんどさだけは、ちゃんとある。

それをなかったことにしようとすると、あとで変な形で出てくるんですよね。

無駄に不機嫌になったり、もう何もしない、って極端になったり、急に“ちゃんとお礼を言える人”に執着したくなったり。

小さいのに、軽くはないんです。

夜のキッチンでマグカップを洗いながら、私は何がそんなにしんどいんだろう、って考える時があります。

ありがとうが欲しいのか、認めてほしいのか、雑に扱われたくないのか、それとも、自分で自分を雑に扱ってるから余計に刺さるのか。

そのへん、まだうまく言えないままです。

でも、言葉がひとつあるだけで、人ってびっくりするくらい救われることがあるのを知ってるからこそ、ない時にちょっとしんどくなるのかもしれません。

今日の私は、その程度のことで揺れるんだなって、洗いたてのタオルの柔軟剤の匂いの中で思いました。

強くはないし、できた人でもないし、案外めんどうで、ちょっと恥ずかしいです。

でも、そういう夜、ありませんか。

何も大事件なんて起きてないのに、たった一言がなかっただけで、心の置き場所がわからなくなる夜。

その感じを、うまく説明できないまま、また明日も普通に笑ってしまうんだろうなと思っています。