ラクしたいのにだらしなく見えたくない日に、そっと選びたくなるカップ付きキャミの正解みたいなもの

穏やかな夜のひととき



夜の十時を少し過ぎたころ、部屋の電気がやけに白く感じる日がある。

そういう日はたいてい、仕事で誰かに気を遣いすぎた日で、笑顔のまま一日を終えたはずなのに、玄関のドアを閉めた瞬間だけ、顔の筋肉が全部落ちるみたいに重くなる。

脱ぎっぱなしのカーディガンが椅子に引っかかっていて、朝飲みきれなかったカフェラテのカップがテーブルの端に残っていて、スマホにはどうでもいい通知と、見たくないのに見てしまうSNSの更新が並んでいた。

友達のストーリーには、うまくいっていそうな週末と、つやつやした肌と、ちゃんと愛されていそうな空気がある。

こっちは帰りに寄ったコンビニで、サラダにするか甘いものにするかを数分迷った末、結局どっちもカゴに入れたのに。

なんか、ずっと疲れてる。

声に出すほどじゃないけど、頭の中では何回もそうつぶやいていた。

お風呂に入る前、鏡の前でトップスを脱いだとき、自分の体を見て少しだけ黙る瞬間がある。
太ったとか、痩せたとか、そういう単純な話じゃなくて、前よりちょっとだけ、全部が下向きに見える感じ。

胸元も、背中も、姿勢も、気持ちまで一緒に丸くなっているみたいで、見なかったことにしたくなる。

若いころは、下着なんて安ければいいと思っていた。

どうせ誰も見てないし、見せる予定もそんなにないし、苦しくないことのほうが大事だった。
でも三十歳になってから、楽なものを選びたい気持ちと、だらしなく見えたくない気持ちが、部屋の隅でずっと小競り合いしている。

ブラトップはその代表みたいな存在で、休日の味方の顔をしながら、ときどき少しだけ自信を奪っていく。





楽だけど、なんか違う。

着ていて疲れないけど、鏡に映る自分にはあまりときめかない。

その“なんか”をうまく言えないまま、季節だけが薄着のほうに進んでいく。

この前、仕事の休憩中にスマホをぼんやり見ていたら、楽天の再入荷商品が流れてきた。

半額、クーポン、再入荷、楽天1位。

そういう言葉って、疲れている夜ほど妙に強い。

ちゃんと必要だから買うのか、安くなっている今のうちに決めたいだけなのか、自分でも少し怪しいまま、ページを開いた。

ラディアンヌのブラトップは、公式の商品説明でも、ホールド感があって、ずれにくくて、脇や背中の肉感を拾いにくいことが前に出されていて、カラーはブラック、グレージュ、オフホワイト、形はタンクとキャミ、サイズもSからXXLまであった。

レビュー数も多くて、公式ページでは377件、Yahoo店では132件の表示になっていた。価格は通常3,490円で、公式では50%オフの1,745円表示、キャンペーン告知では50%オフの発売記念訴求も出ていた。 

たぶん、こういう数字やレビューを見て安心したいんだと思う。

失敗したくない買い物をするとき、私はいつも、商品そのものより先に「これを選ぶ自分は間違っていないか」を確認している。

変なクセだなと自分でも思う。

ブラトップひとつに、そこまで背負わせなくてもいいのに。

でも、こういうインナーって、ただの布じゃない。

誰にも見えないところに着るものほど、その日の気分に静かに効いてくる。

仕事着の下でずっと気になっていたズレとか、前かがみになったときの心もとなさとか、鏡の前で服を着たときにだけわかる“惜しさ”とか。

ああいう小さい不快って、その場では流せるのに、夜になるとちゃんと疲れとして残っている。

しかも困るのは、そんな日に限ってSNSで、部屋着なのに可愛い人とか、何も頑張ってないふうでちゃんときれいな人とかが目に入ることだ。

たぶん頑張ってないわけじゃない。

でも、こちらが勝手に比べて、勝手にしんどくなっている。

ブラトップひとつ、キャミソールひとつ、そういう小物の選び方まで“余裕の差”みたいに見えてしまう夜がある。

この前も、何気なく「最近、ちょっと整ってるね」と同僚に言われた。

嬉しいはずなのに、その瞬間、なぜか少しだけ焦った。

整ってるように見せるために、こっちは地味にお金も気力も使ってる。

パックも、サプリも、アプリの課金も、ちょっといい下着も、全部“なんとなくこのままじゃ嫌”の延長にある。

その必死さは見せないまま、涼しい顔をしていたいだけで。

だから、半額で再入荷されたブラトップのページを見ながら、私は商品を選んでいるようで、実際はもう少し違うものを選ぼうとしていたのかもしれない。

着ていてラクなのに、鏡の前で少しだけ機嫌が悪くならないこと。

適当に見えないのに、頑張りすぎても見えないこと。

ちゃんとしていたいけど、本当はラクしたい、その矛盾を叱られずに済む一枚。

そんな都合のいいもの、あるわけないとも思う。

思うけど、夜の買い物って、そういう小さい希望をひとつずつ拾いにいく行為にも似ている。

大きく人生が変わるわけじゃない。

明日の私が急に愛されるわけでも、自己肯定感が完成するわけでもない。

それでも、朝、服を着たときに「あ、今日はちょっとまし」と思える瞬間があるなら、それだけで少し救われる日もある。

こういうのって、怠けたいわけじゃないのに、ずっと戦うのもしんどい人の選び方なんだろうか。

ラクしたいのに、きれいでいたい。

気を抜きたいのに、雑には見られたくない。

誰かに褒められたいというより、自分で自分を見たときに、あまりがっかりしたくないだけなのに。

それだけのことが、どうしてこんなに難しいんだろう。

また通知がひとつ増えて、テーブルの上のカフェラテはもう完全にぬるくなっていた。

買うかどうかを決めきれないまま画面を閉じたあと、部屋は少しだけ静かだった。

そういえば、ベランダの外の風が、春にしては少し冷たかった。