なんとなくしんどい帰り道、ココア一杯で自分にやさしくなれた夜の記録


雨ではなかったけれど、空がずっと曇っていたせいか、今日の帰り道は、いつもより少しだけ早く夜が来たみたいに見えた。

駅前のガラスに映った自分の顔がなんとなくくすんで見えて、別に泣きたいわけじゃないのに、ちょっとだけ「今日はもう誰とも話したくないな」と思った。

そういう日がある。何か大きなことがあったわけじゃないのに、体の奥だけが先に「もう今日は終わりにしたい」と言っているみたいな日。

家に着いて、バッグを床に置いたまま、コートも脱ぎきらないうちにスマホを見てしまった。いつもの癖だ。

Instagramを開いて、きれいな部屋、きれいな肌、きれいな笑顔を何個か流し見して、いいなあと思うより先に、なんだか少しだけ疲れた。

閉じればいいのに閉じられなくて、でも見続けるほど元気もない。そういう中途半端な夜って、たぶん外から見たらただの地味な夜なんだけど、自分の中ではちゃんとしんどい。

そのままキッチンに立って、夕飯をどうするか考えた。冷蔵庫には卵としなしなのほうれん草、昨日の豆腐、いつ買ったかあやしいヨーグルト。

作れなくはない。でも、作る気力って、材料の有無とはあまり関係ない。今日はコンビニかな、Uberかな、と一度思って、そこでふと、棚の奥にしまってあった純ココアを見つけた。



疲れた夜に、ちゃんとしないための一杯

ココアって、なんとなく子どもの飲みものみたいな顔をしてるのに、疲れた大人の夜にも意外と似合う。私は今日、それを久しぶりに思い出した。

マグカップにココアを入れて、砂糖を少し、牛乳を注いで、スプーンでだまをつぶしながらゆっくり混ぜる。

電子レンジの中で温まっていく牛乳の匂いって、どうしてあんなに気持ちをゆるめるんだろう。おしゃれでもなんでもないのに、あの数十秒だけは、世界が少し静かになる。スマホを持っていない手が手持ち無沙汰で、でもその手持ち無沙汰が、今日は逆にちょうどよかった。

たぶん今日の小さな出来事は、それだけだ。コンビニに行く前に、ココアを先に飲んだ。ただそれだけ。なのに、ひと口飲んだとき、思っていたよりずっとほっとしてしまって、少し笑ってしまった。そんなに単純なのか、私。

もっと立派な方法で整えなきゃいけない気がしていたのに、温かい甘さで肩の力がゆるむなんて、ちょっと拍子抜けだった。

でも、その拍子抜けのあとで、心の中にひとつ本音が浮かんだ。

――本当は、何かを頑張って解決したいんじゃなくて、いったん「もう無理」と言える時間がほしかっただけなんだな、と思った。

最近の私は、疲れていても、どこかでずっと“立て直そう”としていた。

肌が荒れたらスキンケアを見直して、気分が沈んだら原因を探して、将来が不安になったら転職サイトを見て、恋愛で傷ついたら次はどうすれば選ばれるかを考える。

もちろん、それが悪いわけじゃない。ただ、何でもかんでも改善しようとしすぎると、しんどさに寄り添う前に、しんどさを処理しようとしてしまう。

ココアを飲んだ今日は、そこが少し違った。

治すでもなく、変えるでもなく、ただ温かいものを口に入れて、椅子に座って、何もしない時間が数分あった。その数分が、想像していたよりちゃんと効いた。

ちなみに、ココアにはフラバノールと呼ばれる成分が含まれていて、研究では気分や認知の面に良い影響が示されているものがあります。

また無糖ココアはマグネシウムを含む食品のひとつでもあります。ただし、ココアにもカフェインは少量含まれるので、寝つきが悪くなりやすい人は夜遅すぎる時間は少し気をつけたほうがよさそうです。


 

しんどい日の私は、正しい答えより先に甘さがほしい

こう書くと、なんだかココアが万能みたいに聞こえるかもしれないけれど、もちろん一杯で人生は変わらない。飲んだからといって、婚活の不安が消えるわけでも、仕事の悩みがきれいに片づくわけでも、鏡の前の老け見えが急に消えるわけでもない。

それでも、疲れた夜って、大きな解決より先に、小さな救済が必要なんだと思う。

しかも、その救済は、あまり“ちゃんとして”いないほうがうまくいく。白湯を飲もうとしても続かない日があるし、栄養バランスのいい食事なんて考えたくもない夜もある。

そんなときに、ココアくらいの曖昧さがちょうどいい。飲みものだけど少しおやつっぽくて、甘いけど罪悪感が強すぎなくて、手間もたいしたことがない。頑張れない自分を責めずに済む、ぎりぎりのラインにいる感じ。



「別に大したことじゃないのに」が、ほんとは大したことある

私はたぶん、疲れているときほど「これくらい大したことない」と思う癖がある。仕事でちょっと気を遣いすぎたことも、LINEの返信を考えすぎてしまったことも、鏡に映る自分に少しがっかりしたことも、全部まとめて“気にしすぎ”にしてしまう。

でも、今日ココアを飲みながら思った。別に大したことじゃないのにしんどい、っていう感覚は、案外ごまかさないほうがいいのかもしれない。

わかる……こういう日あるよね、と思う人、きっと少なくないはずだ。

誰かに何かされたわけじゃないのに疲れていて、休みたいのに、休み方がよくわからない夜。ちゃんとしている人ほど、そういう夜にうまく崩れられない。

崩れたいくせに、崩れることにも罪悪感があるから。

今日の私は、ココア一杯で急に元気になったわけじゃない。ただ、少しだけ、自分に対して厳しすぎるモードが緩んだ。それだけで十分だった気がする。

温かいものを両手で持っていると、うまく言えない焦りが、全部は消えなくても、少しだけ遠くに行く。たぶんそれは、栄養とか成分だけの話じゃなくて、自分に「今はこれでいい」と言ってあげるための時間だからなんだと思う。

なんでだろう。疲れた日は、元気になる方法より、先に自分を急かさない方法のほうが必要なのかもしれない。

今夜もたぶん、全部が片づくわけじゃない。明日の朝、また同じように少しだるいかもしれないし、スマホを見て落ち込むかもしれない。

でも、そんな自分に対して、いきなり完璧な生活を求めなくてもいいのかもしれないと思えた。せめて、温かいものをひとつ飲むくらいならできる。そのくらいの小ささで、自分を助けていい。

疲れたときにココアを飲むといい、というのは、たぶん“体にいいから飲もう”というより、“今日はこれ以上ちゃんとできない自分を、少しだけ甘やかしてもいい”という許可に近いのだと思う。

そして、本当にしんどい夜に必要なのって、案外そういうものなのかもしれない。

今のあなたにも、キッチンの棚のどこかに、忘れているココア、あるだろうか。