「ちゃんとしてる人」って、ちゃんとしてるんじゃなくて、崩れるタイミングを知ってる人なんだと思った夜

夜の十時を少し過ぎたあたり、洗いきれていないマグカップがふたつ、シンクの端でぬるい照明を受けていて、部屋の中には柔軟剤と、帰りにコンビニで買ったホットスナックの油っぽい匂いが少しだけ残っていた。

帰宅してすぐメイクだけ落として、服も着替えないまま床に座って、スマホを充電器につないで、そのままぼんやりSNSを見ていたら、画面の向こうには相変わらず「ちゃんとしてる人」がいっぱいいた。

朝活、白湯、筋トレ、自炊、読書、仕事の報告、きれいな部屋。

たぶん全部ほんとうなんだろうと思うし、それをわざわざ疑うほど性格も悪くないつもりだけれど、冷めたカフェラテをひと口飲んだ瞬間、あ、今日はこの人たちをちゃんと眩しいと思ってしまう日だ、と思った。

そういう日はだいたい、自分のほうが少しへたっている。

何か大きな失敗をしたわけじゃない。

仕事で怒られたわけでもないし、恋愛でひどいことがあったわけでもない。

でも、昼間に送ったメッセージの返事が思ったよりそっけなかったとか、会議で言おうと思っていたことをタイミング悪く飲み込んだとか、コンビニで温めてもらったパスタのフタが斜めに閉まっていたとか、そういう、口に出したら笑われそうなくらい小さいことが、じわじわ服の裏側みたいに張りついている。

今日もうまくいかなかったこと、というほどでもないのに、うまくいったとはぜんぜん言えない日だった。

この“ちゃんと不調です”と名乗るには弱すぎる不調が、私はいちばん扱いに困る。

学生の頃は、崩れるときはもっと派手だった気がする。

わかりやすく泣くとか、寝込むとか、誰かに長文を送ってしまうとか。

今はもう少し大人になったせいか、崩れ方まで地味になった。

返信はできる。出勤もできる。愛想笑いもできる。洗濯もまあ回せる。

でも、帰ってきたあとに歯みがきをする前の時間がやたら長い。

お風呂を溜める気力がなくてシャワーで済ませる日が増える。

野菜を切るのが面倒で、豆腐と納豆と冷凍うどんに頼る。

そういうところに、その日の本音が出る。

たぶん私は、ずっと「ちゃんとしてる人」のことを、気力が安定している人だと思っていた。

いつでも機嫌よく、体力もあって、部屋も荒れなくて、約束も忘れなくて、ちゃんと休める人。

でも最近、そのイメージが少し変わった。

あの人たちは、ずっと整っているんじゃなくて、崩れ方が上手なんじゃないかと思うようになった。

この前、会社でいつも穏やかな先輩が、夕方の給湯室で紙コップのコーヒーを持ちながら、「今日はもう無理だから、夜ごはん作るのやめた」と、すごく普通の顔で言っていた。

その言い方がよかった。

申し訳なさも、言い訳っぽさもなくて、ただ天気の話みたいにさらっとしていて、ああ、この人は自分が崩れる手前を知ってるんだなと思った。

ちゃんとしている人って、自分を追い込まない人なのかもしれない。

いや、追い込まないというより、追い込みすぎたときの回収方法を持っている人、という感じかもしれない。

私はそこがたぶん、まだあまり上手じゃない。

ちょっと疲れた、を放っておいて、まだいける、まだできる、ここで休むほどじゃない、と細かく先送りして、ある日いきなり、何もかも面倒になる。

部屋着のままベッドに横になって、動画を流し見しながら、スマホを顔に落として、痛っ、ってひとりで言って、それでも充電が三%になるまで見続ける。

あるある、で済む話なのに、その最中はなぜか、自分だけ生活が下手みたいな気分になるから不思議だ。

しかも厄介なのは、休むのが下手な人ほど、休むことにまでちゃんとした理由を欲しがるところだと思う。

熱があるとか、締切が終わったとか、何かを成し遂げたご褒美とか。

何も起きていないのに休む、ということに、妙な後ろめたさがある。

ただ疲れた、だけでは弱い気がしてしまう。

でも、その「まだ休む資格ないです」みたいな態度が、いちばん自分を雑にしているのかもしれない。

SNSを見ていてもそう思う。

ちゃんとしてる人に見える投稿の裏には、載せていない日がきっとある。

メイクした自撮りの前に、前髪が決まらなくて三回結び直した朝があるかもしれないし、作り置きの写真の裏で、三日後にカップ麺をすすっている夜があるかもしれない。

なのに見えている断片だけで、あの人はずっと崩れない人なんだ、と勝手に思い込んで、勝手に少し嫉妬して、勝手に疲れる。

ほんとうに忙しい。

誰にも頼まれていない比較を、自分で始めて、自分でへこんでいる。

それでも、今日みたいな夜に思う。

長く感じがいい人とか、長く愛される人って、ずっとちゃんとしている人というより、ちゃんと崩れる人なんじゃないだろうか。

無理な日は無理だと言えるとか、誰かに「今日ちょっとしんどい」と小さくこぼせるとか、ひとりで抱え込む前に、抱えられる量まで下ろせるとか。

ココナラの電話占いみたいに、匿名で相談できて24時間対応の窓口があるのも、そういう「崩れる前に少し預ける」方法のひとつなんだろうと思う。実績件数が多く、匿名で使えることを前面に出しているのを見ると、夜に急にひとりで抱えきれなくなる気持ちは、案外めずらしくないのかもしれない。 

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もちろん、電話をかければ全部軽くなる、みたいな話ではない。

そんなきれいな話だったら、私はもっと早く立ち直れている。

でも、崩れないことを目標にするより、崩れたときにどこへ行くかを知っているほうが、生活はたぶん少しだけやさしい。

コンビニで甘いものを買うでもいいし、湯船を諦めて足湯だけするでもいいし、友だちにしょうもないスタンプを送るでもいいし、知らない誰かに五分だけ話すでもいい。

そういう小さい逃げ道を持っている人のほうが、結果的に、明日もちゃんとして見えるのかもしれない。


これって、私だけなんだろうか。
ちゃんとしていたい気持ちが強い日ほど、ほんとうは少し休みたいだけだったりしないだろうか。
きちんとして見られたい、機嫌よくいたい、感じのいい人でいたい、その全部の奥で、ただ「今日はもう無理かも」と言いたいだけの夜がある。

大人になるって、崩れないことじゃなくて、崩れた自分をあわてて隠さないことなのかもしれない。

でも、そう思えた次の日にはまた、平気なふりをして出勤して、ちゃんとした顔をしてしまう気もする。

その繰り返しの中で、うまく休める人だけが少しずつ、息の長い人になっていくんだろうか。

さっきまでつけっぱなしだった換気扇の音が止んで、部屋が急に静かになった。

そういえば、今日は月が少し明るかった。