予定のない夜がつらいのはなぜ?ひとり時間をうまく使えない日の静かな違和感
22時を少し過ぎたころ、洗い終わった食器をそのままにして、私はキッチンの小さな椅子に座っていた。
シンクの金属が白っぽく光っていて、換気扇の低い音だけがやけに部屋の輪郭をはっきりさせていた。
マグカップの底に残ったコーヒーはすっかり冷めていて、口をつけると苦いというより、なんだか湿った紙みたいな味がした。
外では誰かのバイクが遠くを通って、春になりきれない夜の空気が、閉めきった窓のすき間から少しだけ入ってくる。
今日は予定がなかった。仕事が終わったあとも誰とも会わず、寄り道もせず、スーパーで半額の豆腐とカット野菜を買って帰ってきて、それで一日が終わるはずだったのに、こういう夜ほど、時間が余る。
自由に使える時間があるのは幸せなこと、みたいな言い方を、たぶん私は何回も見てきた。
学生のころは時間があっていいねと言われ、社会人になってからは、自分のために使える夜を大切にしたいね、みたいな空気がずっとある。
たしかに、誰にも急かされず、今から何をしても怒られない数時間が自分の手の中にあるというのは、かなり贅沢なことのはずで、実際、平日の昼間にカフェでのんびりしている人を見ると少しうらやましくなる。
なのに、いざ自分の部屋でその“自由”を渡されると、私はときどき、受け取り方がわからなくなる。
今日もそうだった。
帰宅してメイクだけ落として、部屋着に着替えて、何か有意義そうなことをしようとした。
読みかけの本もあるし、ストレッチ動画も保存してあるし、転職サイトの気になる求人も開きっぱなしで、やろうと思えばいくらでも埋まる夜だった。
でも、ベッドに腰を下ろしてスマホを開いたまま、気づけば三十分くらい、指だけが画面の上をすべっていた。
誰かの旅行写真、婚約報告、肌つやのいい自撮り、丁寧に切り取られた朝のルーティン。
別に嫌いじゃない。ちゃんと素敵だなと思うし、努力してるんだろうなとも思う。ただ、見れば見るほど、私の部屋の沈黙だけがよく聞こえる。
自由な時間って、楽しそうに使えている人を見るぶんにはすごくきれいだ。
白いテーブル、やわらかい照明、おしゃれなノート、資格勉強、ハーブティー。ああいう写真の中では、自由時間はちゃんと前向きな顔をしている。
でも現実の私の自由時間は、洗濯物をソファの背にかけたまま、床に置いたエコバッグをまたいで、何かしなきゃと思っているうちに終わっていく。
さっきまで見ていたSNSを閉じたあと、急に部屋が静かになって、その静けさに少しだけ負けそうになることがある。
予定がない夜が好きなはずなのに、予定がないことを誰にも必要とされていないことみたいに受け取ってしまう瞬間があるのも、あまり感じがよくない。
しかも厄介なのは、その感情を人に言うほどでもないことだった。
忙しい人からしたら、時間があるなんて最高じゃん、と思われそうだし、実際そういう面もあるから、自分でも大げさにしたくない。
けれど、自由に使える時間が多い日ほど、私は自分の輪郭をうまく保てない。
働いている時間は、やることが向こうから来てくれる。
返信をして、確認をして、間違えないように気をつけていれば、とりあえず私は何者かでいられる。
けれど何も予定のない数時間は、さあ好きにしていいよ、と急に放り出される感じがあって、その“好きにしていい”が、思っていたよりむずかしい。
昔、学生のころの長い夏休みも、終盤になると似たような気持ちになっていたのを思い出す。
最初の数日は解放感でいっぱいなのに、八月の終わりが近づくと、午後の光がやけに白くて、誰にも呼ばれていない感じだけが部屋に残る。
あのころはそれを退屈だと思っていたけれど、今振り返ると、たぶん少し違った。
退屈というより、自分で自分を機嫌よくさせることの難しさに、うすうす気づいていたのかもしれない。
大人になればもっと上手にひとり時間を扱えると思っていたのに、30歳になった今も、自由時間の前で立ち尽くす夜がある。
むしろ、年齢を重ねたぶんだけ、自由な時間には“何かを積み上げるべき”みたいな圧までくっついてきた。
美容も運動も勉強も貯金も、やればやるほど褒められるものが増えて、そのどれもやっていない夜の私は、ちょっとだけ置いていかれた気分になる。
さっき、歯を磨きながら鏡を見たとき、ああ今日も特に何もしなかったな、と思って、それなのにちゃんと疲れている顔をしている自分に少し笑ってしまった。
何もしなかった、って言い方もたぶん雑で、仕事はしたし、ごはんも作ったし、洗濯も回した。
でも、自分が自分に期待していた“何か”には届かなかった夜、という感じがいちばん近い。こういうの、地味に恥ずかしい。誰にも責められていないのに勝手に反省会を始めて、勝手にしょんぼりして、最後はコンビニスイーツで機嫌を取ろうとしている。
さっき冷蔵庫からプリンを出したとき、ほんとうに私は何歳なんだろうと思った。
それでも、自由に使える時間があること自体を、不幸だと言いたいわけでもない。
ただ、その“幸せ”は、拍子抜けするくらい静かで、扱いを間違えるとすぐに孤独に似てしまうだけなのだと思う。
誰にも邪魔されないことと、誰からも触れられないことが、たまにすごく近い顔をしている。
だから、予定のない夜に妙に落ち着かなくなるのは、私の性格が悪いからでも、ひとり暮らしに向いていないからでもなくて、自由というものが最初から少しだけ広すぎるからなのかもしれない。
これって、私だけなんだろうか。
やっと一人の時間ができたはずなのに、何をしたいのか自分に聞かれると黙ってしまう感じ。
誰かとの約束がないことにほっとしていたはずなのに、夜が深くなるにつれて、世界からそっとログアウトされたみたいな気分になる感じ。
あれほど欲しかった自由なのに、手に入った途端、うまく持て余してしまうのは、どうしてなんだろう。
時間があることは幸せ、という言葉にうなずける日もある。
でも、今日みたいに、余った時間の置き場所が見つからない日もある。そのどちらも本当なら、幸せって、思ったよりずっと器用さがいるのかもしれない。
そう考えながら、さっきから放置していた食器をやっと片づけた。
窓の外を見たら、向かいのマンションの一室だけ、まだ明かりがついていた。
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