深夜のコンビニ帰りにふと感じる孤独と、誰にも言えない気持ちの整え方


雨が降るほどではないけれど、アスファルトの匂いが少しだけ湿っていて、春の手前みたいな夜だった。

部屋の電気を消してから、冷蔵庫に何もないことを思い出したわけじゃない。

正確に言うと、食べるものがまったくないわけじゃなかった。

冷凍ごはんもあったし、賞味期限ぎりぎりの納豆もあった。なのに私は、わざわざ上着を羽織って、財布だけ持って、深夜のコンビニまで歩いた。

たぶんお腹が空いていたわけじゃない。たぶん、少しだけ外に出たかった。もう少し正直に言うと、部屋の中でひとりのまま夜を終えるのが、なんだかうまくできなかった。

コンビニって、そういうときに都合がいい。日本のコンビニは「24時間営業」や「まちの要所に位置する」という特性を活かして、地域の安全や安心の拠点としても機能していると案内されていて、実際、深夜にあの明るさがあるだけで少し救われる感じがする。

加盟店は約4万1千店規模とも案内されていて、どこかに行けば、だいたい光っている。そういう当たり前が、たまにやけにやさしい。 



深夜のコンビニで、必要だったのは食べものじゃなかった

自動ドアが開いた瞬間の、あの一定の温度が好きだ。外の夜気をきっぱり切り離すような、少し乾いた空気。

レジ横のホットスナックの匂いと、洗剤の棚の人工的な清潔さと、雑誌の並びの静けさが、全部いっしょくたになっていて、生活の残り香だけが整頓されているみたいだった。

店内には、私のほかに二人いた。エナジードリンクをかごに入れている作業着の男性と、イヤホンをしたままアイス売り場の前でしゃがんでいる若い女の子。

知らない人なのに、深夜のコンビニではみんな少しだけ事情を持って見える。昼間ならただの通りすがりなのに、夜中だと、それぞれがそれぞれの理由でここに流れ着いている感じがして、勝手に親近感を持ってしまう。

私は温かいお茶と、全然食べたくなかったはずのカップ焼きそばと、なぜかチョコをひとつ持った。

自分でも意味がわからなかった。別に大したことじゃないのに、こういう買い方をする日は、少しだけ自分の機嫌が読めない。

必要なものだけ買えばいいのに、それだと今夜の自分が可哀想な気がして、いらない甘さを一個だけ足してしまう。

レジに並んだとき、店員さんが「袋いりますか」と聞いた。

たぶん、毎日何十回も言っている声。丁寧だけど、そこに感情はほとんど乗っていない。その感じに妙にほっとした。気を遣われすぎないことが、やさしく感じる夜ってある。

今日の私は少しだけ変だったから、ちゃんと見られないほうがありがたかった。



かごの中身が、自分の気持ちを先にしゃべってしまう夜

コンビニで買うものって、その日の生活より、その日の気分が出る気がする。




ちゃんと自炊する気がある日は、サラダチキンとかヨーグルトとか、妙に健全なものを選ぶ。でも、深夜に行く日はちがう。

お腹を満たす以上の理由が混じっていて、しかも本人がそれを認めていないから、組み合わせが変になる。


今日のかごの中身もそうだった。

お茶で整えようとして、焼きそばで雑に甘やかして、最後にチョコで黙らせる、みたいな並びだった。誰に見せるわけでもないのに、少し恥ずかしかった。

かごの中だけで、今日の私の散らかり具合が見えてしまう気がして。

なんでだろう、と考えながら会計を待っていた。

仕事で何か大きな失敗をしたわけじゃない。

誰かと喧嘩したわけでもない。将来が突然怖くなった、というほど劇的でもない。

だけど、昼間に何度か飲み込んだ小さなことが、夜になるとちゃんと溜まっていたんだと思う。

返しそびれたLINE。ちょっと気を遣いすぎた会話。SNSで見た、誰かのきれいに整った暮らし。

そんなの一つひとつは本当に小さい。小さいのに、夜中のコンビニでは急に重さを持つ。

「別に平気」と思っていたことが、平気じゃなかったんだなと、レジ横の肉まんの湯気を見ながら知るの、少し間抜けで、でもすごく現実的だと思う。

人って、立派なタイミングでは本音に気づかない。こんなふうに、ポイントカードを出すか迷っているときとか、そういう生活感のど真ん中で、急に本音が顔を出す。

誰にも言わなかった本音を言うと、私はあのとき、「帰りたくないな」と少しだけ思っていた。

自分の部屋なのに。自分で選んだ一人暮らしなのに。ようやく静かになれる場所のはずなのに。なのに、玄関を開けた先に誰もいないことを、今夜は少しだけつらく感じていた。

たぶん、孤独そのものがつらいというより、自分が今日どんな気持ちだったのかを、誰にも確認されないまま終わる感じが、寂しかったんだと思う。

おつかれさまも、大変だったねも、別になくていい日がほとんどなのに、たまに、それがひどく足りなくなる夜がある。

「わかる……こういう日あるよね」と、もし誰かが小さく言ってくれたら、それだけでだいぶ救われる種類の夜。



明るすぎる場所でしか、見えない気持ちもある

会計を済ませて、袋の持ち手が指に食い込む感覚を確かめながら外に出た。店内の明るさから夜道へ戻る一歩目って、毎回ちょっとさびしい。

さっきまで守られていたみたいな光から、また自分の輪郭だけで歩く感じになる。

でも、今日はその一歩目で少しだけ気づいた。私は孤独が嫌だったんじゃなくて、孤独をうまく扱えていない自分に、ちょっとがっかりしていたのかもしれない。

ひとりで生きるって、もっと軽やかにできると思っていた。コンビニも映画もカフェも、ひとりで行けるし、ひとり時間は嫌いじゃない。

むしろ好きなほうだと思う。

なのに、深夜のコンビニで買ったチョコひとつに心を預けている自分を見ると、ああ、私はまだ全然うまくないなと思う。

ただ、その「うまくなさ」を、前より少しだけ嫌わなくなった気もする。

きちんとした孤独より、こういう中途半端な孤独のほうが、本当はずっと人間っぽいのかもしれない。

平気な日もあれば、やけにしみる日もある。その波をなくすことより、今日はしみる日なんだなと認めることのほうが、たぶん現実的だ。

厚生労働省の資料でも、コンビニには深夜や早朝など、ほかの店が開いていない時間帯に急な必要が生じたときのニーズが高いとされていたけれど、あれは薬や食品だけじゃなく、気持ちの避難場所としても、少し当てはまるのかもしれないと思った。

もちろん、そんなの公式には書かれていない。ただ、夜のあの明るさに助けられたことがある人は、きっと私だけじゃない。

家に戻って、買ってきたお茶をテーブルに置いた。

焼きそばは結局食べず、チョコだけ開けた。ひと粒口に入れて、甘い、と思ったあとに、少しだけ安心した。そんなことで、と思う。でも、そんなことくらいでなんとかなる夜もある。

部屋は相変わらず静かで、洗い終わっていないマグカップがシンクに置いたままだったし、脱いだカーディガンも椅子にかけっぱなしだった。

何ひとつ劇的には変わっていない。それでも、さっきコンビニまで歩いた行きと帰りで、少しだけ違う自分がいる気がした。

孤独って、なくすものじゃなくて、たまにコンビニの袋みたいに手に提げて帰るものなのかもしれない。

軽いようで、じわっと重い。

でも、玄関のドアを閉めて、テーブルに置いて、明日の朝には少し軽くなっているかもしれない。そのくらいの曖昧さで、たぶん十分なんだと思う。

今夜みたいに、誰にも会いたくないのに、誰かに気づいてほしいみたいな、面倒な気持ちになる日、あなたにもあるだろうか。