夜の鏡に少しだけ自信を戻す、カプセル美容液という新習慣|生ビタミンセラムmy’sで肌のゆらぎを整える夜スキンケア
夜の洗面所って、昼より少しだけ正直だと思う。
日付が変わる少し前、メイクを落として、部屋着の袖を肘まで雑にまくって、洗面台の端に置きっぱなしだったヘアゴムを手首に通したとき、鏡の中の自分が、思っていたより疲れて見えて、ちょっとだけ笑ってしまった。
笑うしかない、みたいな顔ってある。
会社で何か大きな失敗をしたわけでもないのに、帰りの電車で見た、同い年くらいの女の子のつるんとした肌とか、スマホに流れてきた誰かの丁寧な暮らしとか、そういう小さいものが一日じわじわ残っていて、うまく説明できない重さになっていた。
シンクには朝のコーヒーで使ったマグの名残みたいな薄い色がついていて、換気扇の音は妙に乾いていて、ハンドソープの柑橘っぽい匂いだけがきれいだった。
その夜、手に取ったのが、my’sの生ビタミンセラムだった。
カプセルを指先でつまむと、ああいう小さいものに限って、ちゃんと「今から自分のための時間です」という顔をしている。
水を使わない無水処方で、5種のビタミンを1回分ずつ閉じ込めたカプセル美容液らしい、という説明を前に見ていたから、なんとなく気になっていた。空気に触れにくい形で、その都度フレッシュに使える設計なのだそうだ。
■>>カプセル美容液「my'sパーソナライズセラム」
美容液ひとつで人生が変わる、みたいな話は昔からあまり信じていない。
そんな簡単に変わるなら、私はもっと前に何かしら卒業できていた気がする。
毛穴のこととか、寝不足の顔とか、月末の残高を見たときの気持ちとか、既読はついてるのに返ってこないメッセージとか。
スキンケアだけで片づくほど、こっちは単純じゃない。
それでも、夜のスキンケアにだけは、少しだけ期待してしまう。
誰にも見せない期待。
朝にはもう忘れたふりをしているくらいの、薄くて、でもたしかにあるやつ。
カプセルをひねって中身を出すと、指先に乗った感触が思ったより濃くて、少しだけ緊張した。
こういうとき、私はすぐ「ベタついたら嫌だな」と思うくせに、乾燥が気になる夜は「もっと守ってほしい」とも思っていて、自分でも面倒くさい。
たぶん肌の悩みって、肌だけの話じゃない。
その日の機嫌とか、うまく言えなかったこととか、SNSで見た誰かの近況とか、そういうのまで全部うっすら乗ってくる。
塗り広げながら思い出したのは、夕方、会社のトイレで鏡を見た瞬間のことだった。
頬が少しくすんで見えて、ファンデののりもいまいちで、「あ、今日の私は、今日の私を雑に扱ってたかも」と思った。
ちゃんと昼休みに水を飲んだかも覚えてないし、乾燥しているのに暖房の真下で書類を見続けて、帰りにコンビニで甘いものだけ買って、家に着いてからもスマホを見ながらぼんやり時間を溶かしていた。
それでいて、きれいではいたいのだから都合がいい。
ほんとうに、都合がいい。
でも、そういう都合のよさって、少し恥ずかしいけれど、たぶん私だけじゃない。
疲れている日は、顔を洗うことすら交渉になる。
今日はもういいか、の回数が増える。
なのに、明日の朝の自分には少し期待している。
■>>カプセル美容液「my'sパーソナライズセラム」
他人には言えないけど、私はわりと頻繁に、夜の自分を朝の自分に丸投げしている。
my’sは肌悩みに合わせて複数の処方があり、相談しながら組み合わせを提案してもらえるらしい。診断やパーソナライズの考え方があるところも、今の時代っぽいなと思った。定期コースの案内では、3箱セットが通常10,736円、初回1,980円、2回目以降は7,980円+送料とされていて、いつでも休止・解約は可能だけれど、次回配送の14日前までの電話連絡が必要らしい。
こういうのを見ると、すぐ頭の中で電卓を叩く自分がいる。
美容って、気分のものみたいな顔をしながら、ちゃんと現実の値段がある。
その現実感が嫌いじゃない。
むしろ、少し安心する。
きれいになりたい気持ちが、ふわふわした夢じゃなくて、毎月の支出欄のどこに入れるかを考えるくらい具体的なものなんだとわかるから。
けれど同時に、そこに迷う自分を見ると、「私はまだ自分にお金をかけることに、どこか後ろめたさがあるんだな」と気づく。
友達の誕生日プレゼントなら案外すっと買えるのに、自分のための美容液だと一回立ち止まる。
その立ち止まり方が、なんだか自分らしくて、少し嫌で、少しわかる。
しかも、スキンケアって結果がすぐ数字で返ってくるものでもない。
資格みたいに証明書があるわけでもないし、ダイエットみたいに体重計があるわけでもない。
昨日より今日の肌がどうかなんて、照明と気分でけっこう変わる。
機嫌のいい日は「なんか調子いいかも」と思えるし、落ち込んでる日は何を使っても全部だめに見える。
そう考えると、肌に塗っているのか、気持ちに塗っているのか、たまにわからなくなる。
それでも、ひと粒ずつ使い切るあの感じは、私には少し向いている気がした。
ボトルを前にして「たっぷりってどのくらい」と迷わなくていいし、残量を気にして変にケチることも減る。
旅行や泊まりの日に持っていきやすそうだな、と思ったのも正直なところ。
カプセル自体も天然由来成分を使い、水に濡れると溶ける設計だという説明を読むと、そういう細かいところまで気にする人が作っているんだろうか、と少しだけ想像した。
たぶん私が惹かれたのは、すごい効果の約束じゃなくて、夜の終わりに手順がひとつ増えるあの静けさだった。
一日が雑だった日ほど、最後の最後にだけ丁寧なふりをしたくなる。
それは見栄かもしれないし、遅すぎるリカバリーかもしれない。
でも、その見栄に助けられる夜もある。
誰にも褒められない場所で、自分に一回分の美容液を使うこと。
その小ささが、逆に信じやすい。
こういうのを使っていることを、わざわざ人に話したくない気持ちも少しある。
美容に頑張ってると思われたいわけじゃないし、丁寧な女の人になりたいです、みたいな顔をするのも照れる。
なのに、ほんとうは、ちょっとだけそう見られたい。
この矛盾、誰にも言わないけれど、けっこう長いこと抱えている。
SNSで誰かの洗面台がきれいに並んでいるのを見るたび、憧れより先に、なんだか置いていかれる感じがする夜がある。
そのくせ、自分の部屋の散らかりを片づけるより先に、美容液のことを調べていたりする。
順番、絶対ちがうだろって、自分で自分にツッコミを入れたくなる。
これって、ちゃんと生きている人ほど起きる揺れなんだろうか。
それとも、私が勝手に忙しいふりをしながら、自分の機嫌を後回しにしているだけなんだろうか。
大人になったら、もっと迷わずに自分のためのものを選べると思っていた。
必要なものと、欲しいものと、気休めと、相性のいいもの、そのへんをもっときれいに仕分けできると思っていた。
なのに実際は、夜の洗面所で、小さなカプセルを手のひらに転がしながら、「こういうので救われたことにしてもいいんだろうか」と、わりと本気で考えてしまう。
少なくともあの夜、鏡の前にいた私は、少しだけ静かだった。
肌がどう見えたかより、その時間にちゃんと座れたことのほうを、覚えている。
そういえば、窓の外の月が、思っていたより白かった。

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