鏡の前で、分け目だけが急に“主張”してきた朝
今朝は、いつもより少しだけ空気が乾いていた。洗面所の窓がうっすら曇って、外の冷たい光がカーテンの隙間からまっすぐ落ちてくる。出勤前の、あの「時間がないのに、なぜか手が止まる」数分。私は歯ブラシをくわえたまま、鏡に近づいた。
髪をいつもの場所で左右に分けて、ドライヤーを当てて、前髪を整えて——それだけのはずなのに、分け目がいつもより白く見えた気がした。白いのは頭皮。つまり、見えている。つまり、薄い?
「気のせい、気のせい」と口の中で泡立つミントと一緒に飲み込みたかったのに、視線だけが分け目に貼りつく。
こういうとき、私は自分の目を信用できない。眠い朝は肌もくすんで見えるし、照明が強いと毛穴も罪深く見える。なのに、分け目だけは妙にリアルだった。
まるで「ここ、見て」と言っているみたいに。
髪の毛って、いつのまにか“安心”の担当になっている。寝不足でも、肌が荒れても、髪がツヤツヤだと「大丈夫」って思えたりする。逆に、髪に不安が出ると、人生全体が頼りなく感じてしまうのは、私だけじゃないと思う。
たった一本の分け目が、今日のメンタルの舵を持っていくなんて、ずるい。
ドライヤーの音の中で、私は急に過去の自分を思い出した。大学生のころ、髪が多すぎてヘアゴムがすぐ伸びたこと。美容院で「量、すごいですね」と言われて、なぜか勝った気がしたこと。あのころは、髪が減るという未来が、想像の外側にあった。
今は、鏡の前で「減ったかも」と思っただけで、心が小さく折れそうになる。
“分け目が薄い”って検索すると、だいたい同じ単語が並ぶ。女性型の脱毛、びまん性、ホルモン、ストレス、栄養、紫外線。読むほどに、当てはまりそうで、当てはまらなさそうで、どこにも着地しない。
でも知ってしまった。女性の薄毛は、髪全体が少しずつ細くなったり、分け目が広がって見えたりするタイプが多いことがあるらしい。いわゆる「びまん性」の脱毛は、特定の一箇所だけが禿げるというより、全体のボリュームが落ちていく感じで、最初に分け目で気づく人もいる、と。
その「最初に気づく」って言葉が、いやに刺さった。
最初、ってことは、ここから何かが始まる可能性がある。
今までの私の生活の“どこか”に、原因の糸が隠れているのかもしれない。そう思うと、胸がきゅっとする。
だけど、原因を探すほどに、私は自分を責める方向に進んでしまう。
寝るのが遅いから?
夜にポテチを食べたから?
サウナの帰りに髪をちゃんと乾かさなかったから?
仕事のストレスを「平気」って言いすぎたから?
ここ数カ月、なんだか気持ちがずっと乾いていることを、ちゃんと見ないふりしてたから?
髪の毛は、身体の中でもいちばん“沈黙が上手い場所”だと思う。痛いとも言わないし、だるいとも言わない。代わりに、抜けたり、細くなったり、ツヤをなくしたりして、静かにサインを出す。
しかもそのサインは、あとから来ることもあるらしい。大きなストレスや体調の変化があった数カ月後に、休止期脱毛として抜け毛が増えることがある、って説明を読んだ。
“数カ月後”って、ずるい。原因が過去に散らばっていると、今の私はどれを拾えばいいのか分からなくなる。
それでも、今日はその分け目が気になって、髪を結んで外に出た。結ぶと、引っ張られて余計に目立つ気もするのに。
電車の窓に映る自分の頭頂部を、反射で確認しそうになって、慌ててスマホを開いた。こういうときの私は、ほんとうに落ち着きがない。
「たぶん誰も見てない」って分かっているのに、自分だけが自分を監視してる。
昼休み、コンビニのサラダを買いながら、ふと“鉄分”の文字が目に入った。
髪って、結局タンパク質でできていて、栄養の影響も受けやすいってよく言われる。鉄が足りないと抜け毛が増えることがある、という話も見かけた。
私はその瞬間だけ、真面目にサラダチキンを選びそうになった。でも、レジ横のチョコも一緒に買った。
こういうところが、私らしい。対策と自暴自棄が、同じ袋に入る。
私がいちばん怖いのは、「気にしすぎの自分」かもしれない
薄くなった気がする、の“気がする”って、厄介だ。
確かな証拠がないから、余計に想像が膨らむ。
照明のせいかもしれない。寝起きでペタンとしてただけかもしれない。季節で乾燥して、根元が割れて見えただけかもしれない。
なのに私は、いきなり人生の不安にまで飛躍してしまう。
「このまま薄くなったら、婚活どうする?」って、頭のどこかが言う。
“髪のボリューム”と“未来の安心”が、勝手に連結されている。おかしい。そんなの、論理じゃない。
でも、論理じゃないから、刺さる。
しかも、薄毛の話って、笑い話にもできない温度がある。
肌荒れなら「最近やばい〜」って言えるのに、分け目の話は、なぜか声が小さくなる。
「大丈夫?」って言われたくないし、「そんなことないよ」って軽く流されるのも怖い。
だから私は、誰にも言わないまま、鏡にだけ告白する。
調べれば調べるほど、受診の目安みたいなものも出てくる。急に円形に抜ける、かゆみや赤みがある、短期間で広がる——そういう場合は皮膚科へ、という案内を見た。
その“急に”とか“短期間で”の基準が、私にはまだ分からない。
今日の私は「気がする」だけ。だから、受診という言葉にも、近づけない。
じゃあ私は、何をするのか。
頭皮用の美容液を買う?
分け目を変えてみる?
睡眠を増やす?
食事を整える?
全部、できそうでできない。
私の生活は、いつも「やりたい」と「できない」の間に、洗濯物みたいにぶら下がっている。
帰宅して、部屋の照明をつけずに、夕方の薄暗さのまま鏡を見た。朝ほど分け目は白くない。
ほら、気のせいだった。
そう言って終わらせたいのに、今度は「暗いから見えないだけ」と思ってしまう。
私はどっちに転んでも不安になる。天才か。
だけど、ここまで書いて、少しだけ気づいた。
私が怖いのは、髪が減る未来そのものよりも、髪のことで心が支配される自分かもしれない。
分け目一本で、今日の気分が沈む。
そのことが、悔しい。
もちろん、髪は大事だ。大事だから不安になる。
でも、髪が大事だと思ってしまう私の背景には、たぶん「ちゃんとして見られたい」「崩れたくない」「まだ若くいたい」みたいな、いろんな願いが絡まっている。
髪の毛は、その願いの“旗”みたいなものなのかもしれない。
夜、ドライヤーで乾かしながら、分け目を少しだけずらしてみた。
たった数ミリ。なのに鏡の中の自分が、少しだけ別人に見える。
分け目って、こんなに簡単に変えられるのに、私は今日一日、そこに縛られていた。
それでも、完全には楽にならない。
明日の朝、また同じように気になるかもしれない。
もしかしたら、ほんとうに薄くなっていくのかもしれない。
もしかしたら、生活のどこかを整えれば、戻るのかもしれない。
もしかしたら、いちど専門家に見てもらうと、安心できるのかもしれない。
でも今は、答えを出す前に、ひとつだけ自分に聞いてみたい。
私は、分け目が薄いことを怖がっているのか。
それとも、「変わっていく自分」を怖がっているのか。
鏡の前で髪を触る指先だけが、今日の私の本音を知っている。
お風呂に入って、シャンプーの泡を流すとき、いつもより頭皮を丁寧に撫でた。爪を立てないように、でも逃さないように。
泡が落ちていくのに合わせて、私の不安も一緒に流れていけばいいのに、そういう便利な仕様にはなっていない。
濡れた髪って、いちばん弱いって聞いたことがある。タオルでゴシゴシするのも、よくないらしい。
“らしい”が増えるほど、私は生活が窮屈になる。
正しいケアの手順が増えるたび、守れない自分が増える。
結局、私は今日もタオルで少し強めに拭いてしまって、あとで「ほら」と思う。ほら、雑に扱った。ほら、未来の薄毛に加担した。
そんなふうに、何でも自分のせいにしたくなる夜がある。
SNSで「髪の分け目が広がってきたら、早めに対策!」みたいな投稿が流れてきて、心臓が跳ねた。
同じ悩みの人がいる安心と、みんなちゃんと対策してる焦りが、同時に来る。
コメント欄には「ミノキシジル始めました」とか「クリニック行きました」とか、決断の速い人たちが並んでいて、私はスマホを伏せた。
決断の速さって、尊敬する。私は、揺れている時間が長い。揺れているうちに、いつも日付が変わる。
美容院の予約アプリを開いてみた。
最後に行ったのは、たしか秋。担当さんに「最近どうですか?」と聞かれて、私はいつも「ぼちぼちです」と答える。
分け目のことを言う勇気はあるだろうか。
言ったら、プロの目で「確かに少し…」と言われるかもしれないし、「全然大丈夫ですよ」と言われるかもしれない。
どっちも怖い。前者は現実が確定するし、後者は私が大げさな人になる。
つまり私は、真実よりも“自分の立場”を恐れているのかもしれない。
髪の毛って、誰かに褒められると急に存在感を増すのに、悩みになると途端に孤独になる。
「髪きれいだね」は言えるのに、「髪が減ってきたかも」は言いづらい。
それって、たぶん“見た目”の話に見せかけて、年齢とか自信とか、もっと触れたくないものに接続してしまうからだ。
私の分け目の話は、たぶん私の人生の話でもある。
一人暮らしの部屋で、誰にも見られない時間が増えるほど、鏡の中の自分と向き合う回数が増える。
誰にも評価されない分、私が私を評価する。
そして評価はだいたい厳しい。
今日の私は、分け目の白さで減点されてしまった。
だけど、ふと、朝の私が歯ブラシをくわえたまま固まっていた姿を思い出して、少し笑った。
そんなに真剣に悩むこと?って、別の私が言う。
いや、悩むでしょって、別の私が返す。
小さな会議が頭の中で続いて、結局、結論は出ない。
でも、その結論が出ない感じが、今の私にはちょっとだけ救いだった。
決めなくていい。今日一日は、ただ気になった、それだけでいい。
私は明日もたぶん鏡を見る。
分け目に一瞬ひるんで、気のせいだと言い聞かせて、髪を結んで出かける。
その繰り返しの中で、いつか「まあ、そういう日もある」と思える日が来るのかもしれない。
来ないかもしれない。
その曖昧さの中に、私は今夜も髪を乾かしながら、少しだけ呼吸を戻している。


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