えぞ式 すーすー茶が、私の「ちゃんとしてる感」をほどいていく夜
今日の帰り道、駅前の空気がやけに薄く感じた。
冬の夕方って、空が暗くなるより先に、音が消える瞬間がある。車の走る音も、人の笑い声も、全部いったん綿の中に入ったみたいに遠くなって、私の息だけがやけに近い。
時間はたぶん、19時すぎ。
コンビニの自動ドアが開いたとき、暖房のぬるい匂いが一瞬だけ鼻の奥をくすぐって、「あ、私、生き返る」と思ってしまった。小さなことに救われる日の、あの感じ。
今日はうまくいかなかった。
「大失敗」ってほどじゃない。むしろ、誰にも言わないまま終わらせられる程度の、ちょっとした失敗。だけど、そういう小さい失敗のほうが、あとからじわじわ効いてくる。
昼間、オンライン会議で発言するタイミングを外した。
言おうと思って用意してた言葉が、喉の奥で固まったまま出てこなくて、画面の向こうの沈黙が怖くて、私は笑ってごまかした。笑いながら、心の中では「なんで言えないの」「ちゃんとして」って、自分を小突いてた。
仕事のことって、誰かの前では強がれる。
でも、ひとり暮らしの部屋に帰ると、急に「本当は全然だめだった」っていう感情だけが残る。コートを脱いで、バッグを床に置いて、靴下のままフローリングを歩く音が、やけに寂しく響く。
そのまま台所でお湯を沸かした。
私の台所は、いつも“すぐ終わる生活”の匂いがする。洗い物を溜めないようにしてるのに、いつもどこか、間に合ってない感じがする。丁寧に暮らしてる人のキッチンって、たぶんこういう焦りがない。
お湯が沸くまでの数分で、今日の私はいろんなものを反省した。
言えなかった言葉。
気まずさをごまかした笑い方。
既読をつけたまま返してないメッセージ。
鏡の前で「顔、疲れてる」と思ったのに、何もケアしないで外に出た朝。
反省って、するほど偉くなるわけじゃないのに、反省だけは得意だ。
そんなとき、棚の奥にしまってあった「えぞ式 すーすー茶」を見つけた。
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前に買って、そのまま忘れてたやつ。ちゃんとした理由があったわけじゃない。なんとなく、今の私に必要そうだと思った。必要そうって、なにが?って聞かれたら答えられないのに。
パッケージを開けた瞬間、ふわっと立つ香りが、思っていたより「まじめ」だった。
甘い香りじゃなくて、すっとした、少しだけ強い匂い。
正直、私は最初、その匂いにちょっと身構えた。
「こういうの、健康的な人が飲むやつじゃない?」って。
自分が飲んだら、背伸びしてるみたいに見える気がして。
でも今日は、背伸びしたかったのかもしれない。
“ちゃんとしてる側の自分”に、一瞬だけでも寄りかかりたかった。
ティーバッグをカップに落とす音が、夜の部屋に小さく響いた。
お湯を注いだ瞬間、湯気が上がって、視界が少しだけ曇る。
その曇りの向こうにいる自分が、いつもより他人みたいに見えた。
私はカップを両手で包んで、匂いを吸い込んだ。
鼻の奥が、少しだけスッとする。
それが気持ちいい、というより、「自分がいま息をしてる」って確かめるみたいな感覚だった。
飲んでみると、思ったより優しかった。
強い刺激があるわけじゃないのに、口の中に残る余韻が、妙に“整う”。
たぶん味だけじゃなくて、今の私がそう感じたかったんだと思う。
「私は自分をケアしてる」って、そう思いたかった。
その瞬間、今日うまくいかなかったこと全部が、急に小さくなったわけじゃない。
会議で言えなかった言葉は、やっぱり言えなかったままだし、明日になったら同じ反省をまたするかもしれない。
でも、カップの湯気を見ている数分だけ、私は“自分にダメ出しする役”を休めた。
だけど――ここからが、今日のモヤっとしたところ。
私はふと、気づいてしまった。
こういう「整うもの」を手に取るとき、いつもどこかで、罪悪感が混ざる。
ちゃんとしようとするほど、心の奥で「どうせ続かないのに」って声がする。
自分で自分を信用してない。
たとえば、スキンケアを丁寧にしようとした日。
栄養バランスを考えた自炊をした日。
早寝を決めた夜。
そういう“いいこと”をしたときほど、私は次の日に崩れる。
崩れて、「ほらね」って思って、また自分を嫌いになる。
この繰り返しを、何度やってきたんだろう。
だから、えぞ式 すーすー茶を飲んだだけで「私、変わるかも」って思うのが怖かった。
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変わりたいって思う自分も、
変われないって決めつける自分も、
どっちも私の中にいる。
カップを置いて、スマホを手に取った。
SNSを開いて、誰かの“ちゃんとした生活”が流れてくる。
朝活、腸活、運動、勉強、手作り弁当、きれいな部屋。
私はその画像を見て、「すごいな」って思う一方で、胸の奥がちくっと痛む。
そして気づく。
私が求めてるのは、健康とか美容とかよりも、たぶん「安心」なんだ。
「私、このままでも大丈夫」って思える安心。
えぞ式 すーすー茶がくれたのは、体の変化というより、私の心が一瞬だけ落ち着く“隙間”だった。
でも、その隙間を「商品のおかげ」と言い切っていいのか分からない。
私の心が落ち着いたのは、香りのせい?
温かい飲み物のせい?
それとも、ただ、今日は誰にも会わずに済んだから?
…そう考え始めると、また答えを出したくなってしまう。
何が正しいのか、何が効果的なのか、どうすれば続くのか。
正解を探す癖が、私の中にこびりついている。
だけど、今日は、正解を出し切らないで寝たい。
スッとする香りが、私の中の“頑張りすぎるスイッチ”を少しだけ緩めてくれたのなら、それでいい。
「続けられるか分からない」ままでもいい。
また思い出したときに飲めばいい。
私がモヤっとするのは、たぶんここ。
私は“続けられる私”じゃないと、ケアする資格がない気がしてしまう。
でも本当は、続けられなくてもケアしていいはずなのに。
むしろ、続けられない日がある人ほど、たまにでも自分を温めるものが必要なのに。
「ちゃんとしなきゃ」って声が消えない夜に、
“すーすーする温かさ”って、ちょっと不思議だ。
温かいのに、スッとする。
相反するものが同居してる感じが、今の私に似てる。
頑張りたいのに、休みたい。
変わりたいのに、変わりたくない。
誰かに認められたいのに、誰にも見られたくない。
えぞ式 すーすー茶は、そんな矛盾を「矛盾のまま」置いてくれる気がした。
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整う、ってこういうことなのかもしれない。
完璧になることじゃなくて、矛盾を抱えたままでも息ができる状態。
…ねえ、私はいつから、こんなに「続けること」ばかり気にするようになったんだろう。
続けられる人が偉くて、続けられない人がだめ、みたいな空気を、誰が作ったんだろう。
そして私は、いつの間にそれを信じてしまったんだろう。
たぶん明日も、私はうまくいかない。
言えない言葉があって、返せないメッセージがあって、鏡の前でため息をつく。
でもその夜にまた、棚の奥からえぞ式 すーすー茶を取り出すかもしれない。
取り出さないかもしれない。
その“揺れ”の中にいる自分を、今日は責めないでおこうと思う。
最後の一口を飲んだあと、カップの底に残ったぬるさが、少しだけ寂しかった。
それでも、部屋の空気はさっきよりやわらかい。
私は今日、ちゃんとできなかった。
でも、ちゃんとできなかった私が、温かいものを飲んだ。
それだけのことが、なぜか少し、救いみたいに感じている。
明日の私は、今日より少しだけ呼吸がうまいだろうか。
それとも、また同じところでつまずくだろうか。
答えは出さない。
ただ、湯気の余韻だけが、まだこの部屋に残っている。
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