「学びたい」と言うのが、ちょっと恥ずかしい夜に。—生涯学習のユーキャンのこと
夜のキッチンって、昼間より音が大きい気がする。
湯気の立つマグカップをテーブルに置く「コトン」が、ワンルームの静けさにやけに響いて、私は一瞬だけ“ちゃんとしてる人”になったみたいな錯覚をする。…もちろん錯覚で、シンクには洗い物が山のように眠っているし、冷蔵庫には賞味期限が昨日の豆腐がいる。
今日の私は、仕事を終えて帰ってきて、玄関で靴を脱いだ瞬間から「何もしたくない」が勝っていた。なのに、スマホだけは勝手に動く。指だけは元気。そんな夜だった。
今日あった小さな出来事は、本当に小さくて、他人に話すほどのオチもない。
帰りの電車で、隣に座った女の子が、膝の上でプリントを読んでいた。大学の課題かな、と思ったら、資料の端に「添削」の文字が見えて、次のページには「資格」と大きく書いてあった。
彼女は、眠そうな目をしながらも、ペンで淡々と線を引いていて、その仕草が妙に落ち着いて見えた。
そのとき私の胸に浮かんだ、誰にも言わなかった本音。
「…いいな。学んでる人って、かっこいい。」
そして、続けて出てきたもっと嫌な本音。
「私、いま何を積み上げてるんだろ。」
こんなこと、友達には言えない。言った瞬間に“焦ってる人”に見られそうで、そう見られるのが恥ずかしいから。
焦ってないふり、得意なんだよね。仕事で鍛えたやつ。
電車が揺れて、彼女のプリントがふわっと揺れた。私は目線を戻して、窓に映った自分の顔を見た。疲れてる、というより、なんだか“薄い”。
たぶん私は、学びたい気持ちそのものより、「学びたい」って口に出すのが恥ずかかったんだと思う。
今さら?とか、何目指してるの?とか、聞かれてもいないのに勝手に怯えて、勝手に黙る。自分のことなのに、他人の目を先回りして許可を取ろうとする。そういう癖、たぶん私だけじゃない。
わかる…って思う人、いると思う。
「やりたい気持ちはあるのに、始める前がいちばん重い」ってやつ。
そのまま帰宅して、私はいつものように部屋の電気をつけて、いつものようにコンビニの袋をテーブルに置いて、いつものようにスマホを開いた。
なのに、今日は少しだけ違った。電車の隣の子の“静かな集中”が、まだ胸のどこかに残っていたから。
ふと思い出したのが、【生涯学習のユーキャン】のことだった。
資格・特技・趣味まで、100以上の通信講座があるっていう、あれ。
前に広告で見かけて、「へぇ〜」で流したやつ。私の「へぇ〜」って、だいたい“本当は気になってる”の裏返しだったりする。
でも、ここで私の中の面倒くさい自分が出てくる。
「どうせ三日坊主でしょ」
「お金と時間の無駄じゃない?」
「仕事で疲れてるのに、さらに自分を追い込むの?」
そうやって、始めない理由だけが達者に並ぶ。口がうまいのよ、逃げるときだけ。
ここから今日の主軸にしたい“今まであまり触れてこなかった感情”がある。
それは、焦りでも自己肯定感でもなく、もっと地味で、もっとこじれていて、ちょっと言いにくいやつ。
「学びたい」と言うことへの、恥ずかしさ。
努力を見せるのが気まずい。頑張る宣言が怖い。失敗したときの自分が先に目に浮かぶ。
だから私は、何かを始める前に、いつも一回だけ自分を笑う。「どうせ無理だし」って。
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“ちゃんとしてる人”に見られたいのに、バレたくない
不思議なんだけど、私は“ちゃんとしてる人”に見られたい。
仕事もこなして、一人暮らしも回して、なんなら趣味もあって、休日はカフェで本を読んでるような…そういう雰囲気の人。
でも実際は、休日は洗濯機とにらめっこしながら、気づけば夕方で、冷凍ごはんをレンチンして、「今日、何してたっけ」って思うことが多い。
それが悪いわけじゃないのに、どこかで「これじゃ足りない」って感じてしまう。
学びって、たぶん私にとって“足りない感”を埋める道具に見えていた。
だから余計に恥ずかしい。
足りない私が、足りないのを埋めにいく行為を、誰かに見られるのが怖い。
「頑張ってるね」って言われるのも、実は少し怖い。頑張りが続かなかったときに、その言葉が刺さるから。
電車でプリントを読んでいたあの子は、たぶん誰に見せるでもなく、自分のために線を引いていた。
その“誰に見せるでもない感じ”が、私には眩しかった。
“実用じゃない学び”を、自分が許してなかった
ユーキャンって、資格のためだけじゃなくて、趣味や特技の講座もある。100以上って、ちょっと多すぎて笑ってしまうくらい。
でもその多さが、逆に救いになる気がした。
「学び=正解」じゃなくて、「学び=選べる」みたいに見えたから。
私、ずっと思ってたんだよね。
学ぶなら、仕事に役立つものじゃないとダメ。
転職に効くとか、昇給に繋がるとか、周りに説明できる理由がないとダメ。
そうじゃないと、“時間の使い方が下手な人”になりそうで。
でも今日、電車で見たのは、たぶん“役に立つかどうか”以前の顔だった。
眠いのに、やる。
誰に褒められるわけでもないのに、進める。
それって、すごく生活に近い努力で、ちょっとだけ人を強くする努力な気がした。
私が引っかかっていた違和感は、ここだったのかもしれない。
学びたいのに、学びを「成果が出るかどうか」でしか見ていなかった。
それって、私が私に出してる条件が厳しすぎる。上司かよって思う。自分に対してだけブラック企業みたい。
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いちばん小さな変化は「検索する勇気」だった
ここからが、今日だけの小さな気づき。
私は、いきなり“申し込む”まではできなかった。さすがに怖い。
でも、検索した。
ユーキャンのページを開いて、講座一覧をぼーっと眺めた。
「へぇ、こんなのもあるんだ」って、心の中で小さく言った。
この“検索する”っていう行動が、私には思った以上に意味があった。
なぜなら、私はいつも、学びたい気持ちが湧いた瞬間に、反射的に消していたから。
「どうせ無理」って自分でフタをして、何も見ないまま終わらせていたから。
検索して眺めただけで、人生が変わるわけじゃない。
でも、眺めながら私は、ちょっとだけ思った。
「学びって、未来の自分へのプレゼントというより、今日の自分の避難場所かもしれない」って。
仕事の評価も、人間関係の機嫌も、自分の外側の要素で揺れやすい日がある。
そういう日に、たった15分でも“自分のためのページ”を開くことが、心のつっかえを少しだけ取ってくれる気がした。
そして、これも本音なんだけど。
学びたいって思ったときの私は、たぶん弱ってる。
弱ってる自分が「何か変えたい」って言ってる。
その声を、笑って黙らせる癖を、今日だけはやめてみたかった。
わかる…って、また言っていい?
「頑張りたいんじゃなくて、置いていかれたくない夜ってある」
私にとって今日の夜は、まさにそれだった。
最後まで“ポジティブにまとめる”のはやめておく
。
明日になったら、私はまた忙しくて、また疲れて、また“検索しただけ”で終わるかもしれない。
それでも、今日の私は、学びを「恥ずかしいもの」から「覗いてもいいもの」くらいに、ほんの少しだけ変えられた。
大げさじゃなく、ほんの少し。小指の爪くらい。
ねえ、もし今夜、あなたにも「何か始めたい気がするのに、恥ずかしくて黙ってしまう気持ち」があるなら。
その恥ずかしさって、どこから来てるんだろうね。
誰の目を、先回りして怖がってるんだろう。
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