汗のことを、ちゃんと嫌いになれない夜
今日は、うまくいかなかった。
大きな失敗じゃない。誰かに怒られたわけでもない。
それなのに、帰宅して玄関のドアを閉めた瞬間、胸の奥が「べちゃっ」と濡れたみたいに重くなった。
時間は、19時ちょっと過ぎ。
駅からの道はいつもよりぬるくて、風がぜんぜん動かなかった。空気が、私の肌に貼りついてくる。冬なのに、冬っぽくない日。こういう日はだいたい、私は機嫌が悪い。
今日の“うまくいかなかったこと”は、ほんの些細なやつだ。
仕事帰りに、ちょっと気になっていたお店に寄るつもりだった。
店内が寒そうで、明るくて、ちゃんとした大人が静かに過ごしていそうで——そこに入れたら、今日の私は少しだけ「整う」気がした。
でも、駅の改札を出た時点で、もう違った。
顔がじんわり熱い。頭皮のあたりがむずむずする。
脇の下が「やばい」と小声で教えてくる。
手のひらが、スマホを持つだけでぬめる。背中の真ん中が、服の内側でじわじわ広がる。足も、ブーツの中で逃げ場がない。
私は、汗をかくと一気に心が幼くなる。
「大丈夫、汗なんて誰でもかくよ」と言えたらいいのに、頭の中では別の声が大きくなる。
“まただ”
“ほら、またみっともない”
“なんで私だけ、こんなに”
その“私だけ”の感覚が、今日はいちばん苦しかった。
改札の外で、いつものように鏡代わりにスマホの画面を見た。
頬が、少し赤い。メイクの上からもわかる。鼻の横に、光が乗っている。
もうこの時点で、お店に入る“余裕”が消えてしまった。
店に入って、椅子に座って、メニューを見て、落ち着いたふりをする。
その前提として、「汗が落ち着いている私」が必要だった。
でも今の私は、汗が主役になっている。
すごく小さなことなのに、私はそれで予定を変えてしまう。
いつもそう。汗が出ると、世界が一段階狭くなる。
選べるルートが減る。選べる表情が減る。選べる自分が減る。
私はそのまま、駅前のドラッグストアに吸い込まれた。
店内の蛍光灯って、どうしてあんなに容赦がないんだろう。
“あなた、今テカってるよ”って、明るさで言われているみたいで、私の中の焦りがまた増える。
棚の前で立ち止まった時、ふと思い出したものがあった。
制汗美容スプレー【トリムクール】。
顔汗、頭汗、脇汗、手汗、背中汗、足汗…あの“汗の種類ぜんぶ”に向けて語りかけてくるみたいな言葉。
多汗症って言葉も、前より目にするようになった気がする。
「体質かもしれない」と思えるだけで少し救われるのに、同時に、どこにも置き場がなくなる感じもする。
“私はただの暑がりなのか”
“それとも、ちゃんと対策すべき何かなのか”
“気にしすぎなのか、気にしなさすぎなのか”
答えは出ない。
出ないくせに、私は棚の前で、その言葉たちにじっと見られているような気がした。
私は、汗の話を人にしたことがほとんどない。
仲のいい友達にも、恋愛の相手にも。
たぶん、恥ずかしいんだと思う。
“汗=だらしない”みたいな短絡が、まだ私の中に残っているから。
でも今日、鏡に映る頬の赤さを見た時、恥ずかしさより先に、なんか…悔しかった。
汗をかいたのは私が悪いわけじゃないのに。
汗が出たせいで予定を変えたのは私だけど、変えさせられた感じもある。
「私の体」が私の気分を左右して、さらに私が私を責める。
そのループが、ものすごく疲れる。
帰り道、コンビニで冷たいお茶を買った。
手汗でペットボトルが滑りそうで、きゅっと強く握ったら、指先の感覚が少し戻った。
ほんとに小さい回復。
でも、その“小さい”を拾うしかない夜って、ある。
家に着いて、コートを脱いで、いつもの部屋の匂いがした。
洗剤と、少しだけ甘いボディクリームと、昨日の鍋の残り香。
安心する。
安心するのに、汗の余韻だけが肌に残っていて、シャワーの前に服を脱いだ瞬間、背中の不快感がやけにリアルだった。
「今日、こんなに頑張ったっけ?」って思うほど、背中が湿っていた。
私の“汗スイッチ”は、何に反応しているんだろう
汗って、温度だけじゃない。
私はそれを、なんとなく知っている。
たとえば今日は、道がぬるかった。確かにそれもある。
でもそれだけじゃない。
駅で、少しだけ見栄を張りたかった。
ちゃんとしたお店に入って、ちゃんとした人みたいに振る舞って、
「私もちゃんと暮らしてる」って自分に言いたかった。
その“ちゃんと”が、私の汗を呼ぶ。
そういう日がある。
予定を詰め込んだ日。初対面の人に会う日。
遅刻しそうな日。なんとなく自信がない日。
誰かに好きになってほしい日。
逆に、誰にも会いたくない日。
汗が出るのは体の反応なのに、出た瞬間から心の反省会が始まる。
「対策してないからだ」
「もっと早く出ればよかった」
「服選びが悪い」
「人前に出る準備が足りない」
そうやって、汗が“人格”みたいになる。
汗のせいで、私の評価が決まるみたいな錯覚。
ドラッグストアで見た【トリムクール】のことを、帰ってからも考えていた。
制汗って、ただ“止める”だけじゃないんだろうか。
美容スプレーって書かれているのが、少しだけ救いだった。
汗を抑えることを、恥の隠蔽じゃなくて、ケアとして扱っていいって言われた気がしたから。
顔汗って、いちばん目立つ。
頭汗って、髪型が崩れて自己肯定感が折れる。
脇汗は、電車で吊り革を持つだけで「詰む」。
手汗は、握手とか、レジで小銭を出す時とか、人生の細かい場面で地味に刺さる。
背中汗は、ブラのラインに沿ってじわっとして、誰にも言えない不快感になる。
足汗は、靴を脱ぐ可能性がある場所を全部避けたくなる。
汗の種類が増えるほど、「私の自由」が減っていく感じがする。
だからこそ、いろんな汗に寄り添うみたいな言葉に、ちょっと泣きそうになるのかもしれない。
でも、同時に思う。
私が欲しいのって、汗が完全に消える未来なんだろうか。
もし汗が一滴も出なかったら、私は“堂々と”できるんだろうか。
それとも別の何かを理由に、また私は自分を責めるんだろうか。
汗はたぶん、私の不安の出口でもある。
出口があるから、私はまだ壊れずに済んでいるのかもしれない。
そう考えると、汗のことを単純に敵って呼べなくなる。
嫌いなのに、完全にいなくなってほしくない。
この矛盾が、今日のモヤっとした正体に近い気がする。
シャワーを浴びて、髪を乾かして、いつものスキンケアをした。
鏡の中の私は、少しだけ落ち着いた顔をしている。
でもあの時、駅の改札で頬が赤くなって焦った私も、確かに私だ。
汗をかく私を、ちゃんと抱きしめられる日は来るんだろうか。
それとも、抱きしめるっていうより、上手に共存するだけでいいんだろうか。
多汗症って言葉を知ったことで、救われる部分と、怖くなる部分が両方あるみたいに。
今夜はまだ、結論を出したくない。
私は、汗のことを“恥”として片づけるのが嫌だ。
でも“気にしないふり”をするのも、私には難しい。
ベッドに入って、部屋の灯りを落とす。
今日行けなかったお店のことを、少しだけ思い出して、少しだけ笑ってしまった。
こんなことで予定を変える私、ちょっと不器用すぎる。
それでも明日、もしまた汗が出たら。
私はたぶん、また揺れる。
揺れながら、何かひとつ、自分の味方になる方法を探すと思う。
答えは、まだ出ないまま。
ただ、今夜の私は「汗のせい」って言い切らないで眠りたい。
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