「選ばれない自分」に理由を探してた時が、恋愛でいちばんしんどかった

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夜の部屋って、たまに変な静けさになる。

冷蔵庫の「ウィーン」って音と、洗濯機の終わりのピッ…だけが、やけに生活感たっぷりで、なのに胸の中だけが、ずっと外に置き忘れたみたいに落ち着かない。

今日の帰り道、駅から家までの間に、コンビニに寄った。
別に何か欲しいものがあったわけじゃない。むしろ、買うものを決める気力がなくて、ただ明るい照明の下を歩きたかっただけかもしれない。

冬の空気って、乾いてて、息をすると喉の奥が少し痛い。手袋を忘れた指先は赤くなっていて、「寒い」と「寂しい」が似た感覚で混ざると、私はいつもどっちなのか分からなくなる。

カゴに入れたのは、安いホットのカフェラテと、ひと口サイズのチョコ。
本当は、お腹が空いてたわけでもないのに、「甘いものなら気持ちが落ち着く」って体に覚えさせてしまった癖みたいな買い方だった。

レジの人が「温めますか?」って聞いてくれたのに、私は一瞬言葉が詰まって、「あ、はい」って、やけに小さな声で答えた。

そのとき、なんでもない一言が、胸の奥の“誰かに扱われる感覚”を呼び起こすことってあるんだな、って思った。丁寧に聞かれただけで、心が揺れるなんて、ちょっと情けない。

袋を受け取って外に出た瞬間、スマホが震えた。

通知は、彼——いや、“彼だった人”からじゃなくて、友達のグループLINEだった。忘年会の話が続いてて、スタンプが飛び交ってて、すごく普通で、すごく明るい。
それが眩しくて、私は画面をそっと伏せた。

誰かの楽しさに参加できない時の自分って、あんなに小さく感じるんだな、って。自分から距離を取ってるのは私なのに、置いていかれてるみたいに感じるの、ずるいよね。

家に着いて、電気をつけて、靴を揃えて、コートをハンガーに掛けて。

こういう一連の動作が、ひとり暮らしの「帰宅」の儀式みたいで、嫌いじゃない。
でも今日は、部屋の匂いが少しだけ“留守だった時間”を感じさせて、そこに自分ひとりが戻ってきた事実が、静かに響いた。

ホットのカフェラテをテーブルに置いて、椅子に座った。
それから、やってしまった。
スマホを開いて、無意識にトーク履歴を探した。消していないんだよね、まだ。

消せないというより、「消したら終わる」気がして怖いだけ。
画面の上のほうに残った彼のアイコンと、最後のやり取り。そこに指が近づく瞬間の、あの微妙な手汗。

なんでこんなことで、まだ心臓が早くなるんだろう。

既読はついていない。もちろん、私が送ってないから。
送ってないのに、見ちゃう。

これ、恋愛の中で一番しんどかった時の癖に似てる。
「返ってくるかもしれない」って、ほんの小さな可能性を握りしめて、何度も画面を見て、何度も自分を待機状態にする。

今日の私は、数分だけそれをして、それから、自分の手を見て思った。
私、まだ“待てる人”をやってるんだなって。

誰にも言わなかった本音が、そこでふっと浮かんだ。
「優しくされたい」じゃなくて、もっと生々しいやつ。
“謝ってほしいし、後悔してほしいし、できれば私の価値を今さら思い知ってほしい”って。

そんなこと考える自分を、私は普段すぐに否定する。
性格悪いって思われそうで。大人げないって思われそうで。
でも本当は、性格がどうとかじゃなくて、「あの恋で削れた部分を、誰かに埋め戻してほしい」だけなんだと思う。

恋愛で一番しんどかったのって、失恋そのものじゃなかった。
「選ばれない自分」に理由を探してた時間が、本当にしんどかった。
✔ もっと優しくすれば
✔ もっと痩せれば(これは今日は触れないって決めてる)
✔ もっと頑張れば
…って、いつも“自分を削る方向”だった。
相手の機嫌を読むのが上手くなるほど、私の輪郭が薄くなっていく感じ。
なのに、薄くなった自分を見て、「魅力が足りない」ってまた削る。
あれ、終わりがない。

それに気づいてしまった日のことを、今日のコンビニのレジで思い出した。
丁寧に扱われた時に、胸が揺れる自分。

つまり私は、丁寧さに飢えてたんだ。
優しさって、“大きなイベント”じゃなくて、日常の小さな扱い方に宿るのに、私はそれを恋愛の中でずっと見落としてた。

そして今日の小さな出来事は、もう一個ある。

カフェラテを飲みながら、ふとテーブルの上の郵便物に気づいて、封筒を破ったら、更新のお知らせだった。

住所変更の手続きとか、支払いの案内とか、そういう“ひとりでちゃんとしなきゃいけない用事”って、こういう夜に限って届く。

それを見た瞬間、私はなぜか、恋愛で苦しかった頃の自分がよみがえった。
誰かといることで、やるべきことから目を逸らしていた頃。

誰かの返信待ちをしているふりで、自分の生活の手綱を相手に預けていた頃。

あの頃の私は、「大切にされない恋」を、自分が一番許してた。

“許してた”って言うと、ちょっと強いけど、でも本当にそうだった。

だって、雑に扱われても、私はそこに居続けた。
返信が遅くても、予定が曖昧でも、会うたびに少しだけ悲しくなっても、私は「忙しいのかな」「私が重いのかな」って、理由を作って、居続けた。

居続けるために、都合よく自分を解釈していた。

愛される人って、特別な魅力があるんじゃなくて、雑に扱われる場所に長居しない。

この言葉を理解した瞬間、恋愛だけじゃなく人生の選択が変わった——
って、言いたいところなんだけど、実際はそんなに格好よくない。

変わったというより、“変えようとして失敗して、また戻って、また思い出して”の繰り返しだった。
今日みたいに、トーク履歴を見てしまう夜もあるし、意味もなく通知を待ってしまう日もある。
それでも、前よりひとつだけ違うのは、そこに「理由」を探し続けなくなったことかもしれない。


「削る努力」は、相手の都合がいい

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恋愛で苦しかった頃の私の努力って、全部“相手が気持ちよくいられる努力”だった。
相手が疲れてそうなら、明るい話をする。

相手が面倒くさがりそうなら、こっちが合わせる。
相手が曖昧な態度でも、問い詰めない。

そうやって私は、“扱いやすい女”を上手に演じて、そしてその結果、「扱いやすいように扱われる」っていう、すごく嫌な現象を引き寄せてた。

努力って、本来は自分の未来のために使うものなのに。
恋愛の中では、努力が“自分の価値証明”みたいになってしまう。

頑張ってるから愛されるはず、って。
でも、頑張っても大切にされない恋って、ある。

むしろ、頑張るほど雑にされる恋もある。
この事実って、受け入れるのがしんどい。

だって、頑張った自分を否定された気がするから。

私は今日、郵便物の案内を見て、ため息をついて、ペンを取った。

住所や支払いの確認をしながら、ふっと思った。
「あ、私、今はちゃんと自分の用事を先にやってる」って。

恋愛に振り回されてた頃なら、こういうのは後回しにして、スマホを見て、落ち込んで、またスマホを見て…ってしてたはず。

この小さな行動の違いが、今日の私の“ささやかな変化”だった。
誰かの気持ちを当てようとするより、目の前の生活をちゃんと持つ。
それって地味だけど、私はそこに救われることが多い。


「大切にされない」を、慣れで上書きしない

恋愛がしんどくなる瞬間って、だいたい派手じゃない。
大喧嘩とか、裏切りとか、ドラマみたいな出来事じゃなくて、
「なんとなく雑」
「なんとなく後回し」
「なんとなく心が冷える」
そういう“なんとなく”の積み重ね。

それを私は、慣れで上書きしてしまっていた。
「この人はこういう人だから」
「私が気にしすぎだから」
「忙しい時期なんだろう」
って。

慣れって怖い。
痛いことにも慣れるし、寂しいことにも慣れるし、雑な扱いにも慣れる。

そして慣れた頃には、それが“自分の居場所の基準”になってしまう。

今日、コンビニで丁寧に聞かれて胸が揺れたのも、たぶんそれ。

丁寧さが特別だからじゃなくて、私は丁寧に扱われることに慣れてなかった。
それが悲しい。

自分の基準が、いつの間にか下がっていたってことだから。

「わかる…」って感じる人、きっといると思う。
“嫌なことが嫌って言えなくなると、いつの間にかそれが普通になる”ってやつ。
あれ、本当に静かに心が摩耗する。


「戻りそうな夜」に、ひとつだけすること

私は今日、トーク履歴を見てしまった。
だから“変われた私”みたいな綺麗な話ではない。

ただ、見てしまった後に、ひとつだけできたことがある。

スマホを伏せて、湯たんぽをレンジで温めて、ベッドに入れた。

それから、部屋の照明を少しだけ暗くして、カーテンの隙間から外の光を見た。
その間、私は“相手の気持ち”を一回だけ手放した。

たった数分でも、相手の心を想像するのをやめて、自分の体の感覚に戻る。
手が冷たいとか、肩が凝ってるとか、息が浅いとか。
恋愛でしんどい時って、自分の体の感覚が抜け落ちる。

頭だけがずっと相手のところに行って、体が置いてけぼりになる。

今日の気づきは、そこだった。

「大切にされない恋」を許してたのは、心だけじゃなくて、体もだった。
自分の疲れを無視して、眠気を無視して、寒さを無視して、
“連絡が来るかもしれない”のために、夜を差し出してた。

今の私は、完全にはできないけど、戻りそうな夜に「自分の体に戻る」を少しだけ試してる。
湯たんぽ、白湯、照明を落とす、スマホを伏せる。
これって、恋愛の解決じゃない。

でも、私が私の味方に戻る小さなスイッチにはなる。

ポジティブにまとめたくないから正直に言う。
恋愛で傷ついた感覚って、しばらく残る。

忘れたふりをしても、冬の夜のコンビニみたいな、何でもない場面で急に顔を出す。
そのたびに、「またか」って自分にうんざりするし、情けなくもなる。

でも、今しんどい人ほど、一回立ち止まってほしい。
“もっと頑張れば愛される”の方向に、もう自分を削らないでほしい。
頑張ること自体が悪いんじゃなくて、頑張り方を間違えると、自分の基準が下がっていくから。

最後に、今日の私が自分に投げた問いを、そのまま置いて終わる。

今あなたが「慣れ」で許してしまってる雑さって、本当はどんな形をしてる?