ちゃんとできなかった日に救われた、キッチンの小さな習慣とMCTオイルの距離感

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今日は、キッチンの窓がまだ薄暗いままの朝でした。

時計は7:12。湯気だけがやたら元気で、部屋の空気は寝ぼけたまま。昨夜洗い忘れたマグカップがシンクに残っていて、それを見た瞬間に「今日、もうちょっとだけ丁寧に生きたい」みたいな願いが、喉の奥で小さく咳をしました。


コーヒーを淹れるのは、習慣というより儀式に近いです。

手順が決まっていると、心が散らばりにくい。粉を量って、お湯を注いで、香りが立ち上がるのを見ている間だけは、世界が静かに戻ってくる。

最近、そのコーヒーに“透明な何か”を足すようになりました。

無臭で、見た目もただの油。スプーンで垂らしても、主張しない顔をしているのに、混ぜると表情が変わる。

バターコーヒーみたいに大げさなことをする日もあるけど、私はだいたい、そこまで豪華にできない。今日は、MCTオイルを少しだけ。仙台勝山館のやつ。医師推奨とか高品質とか、そういう肩書きは正直「そうなんだ」くらいで、私が惹かれたのは、ただ“無臭”ってところでした。

匂いがしないって、優しい。

朝の私は、たぶん匂いにすら気を遣う余裕がないから。

一口飲んで、「今日こそ、ちゃんとした日になる気がする」と思いました。

こういう“気がする”って、たいてい裏切られるのに、毎回ちゃんと信じるのが、私の癖です。



うまくいかなかったことの正体が、いつも同じとは限らない

午前中、仕事のチャットに返信するタイミングを一個ミスしました。

ほんの数分、相手の期待より遅れただけ。内容も普通。大問題じゃない。なのに私の体は、まるでテストに落ちたみたいな反応をする。

心臓が一段上に上がる。
指先が冷える。
目が乾く。
「ああ、まただ」って思う。

“まただ”の正体は、たぶん今日の返信じゃない。

「遅れる自分」「気が利かない自分」「誰かをガッカリさせる自分」を、私は昔からまとめて怖がってる。

怖がってるくせに、平気な顔をするのは得意です。
一人暮らしって、誰にも見られない分、誰にもバレない。バレないから、余計にちゃんとしようとする。
で、ちゃんとできないと、誰にも怒られない代わりに、自分だけが自分を責め続ける。

お昼、コンビニでサラダとチキンを買いました。

糖質制限とか、そういう言葉を口にすると急に“意識高い人”みたいになりそうで、普段は言わない。けど、最近ちょっとだけ、体を整えたい気持ちがある。肌も、眠りも、気分も、全部が絡まり始めたときって、だいたい食生活が荒れてる。

それでも、サラダだけで満足できるほど私は器用じゃなくて、ついレジ横の甘いパンを見てしまう。
買わなかった。偉い。

でも、買わなかった自分を褒める時点で、もうすでに「我慢」が中心になってる。

午後、また小さなミス。

ファイル名をちょっと間違えた。
誰にも迷惑はかけてない。たぶん。
たぶん、のせいで心が落ち着かない。
私は「大丈夫だよ」って言われたいんじゃなくて、「大丈夫じゃない気がする」を誰かと共有したいだけなのかもしれない。

帰り道、駅のホームで、広告がやけに眩しく見えました。

“理想の自分”“変われる自分”“最短で結果”。

全部、正しい。正しいけど、今日の私はその正しさに触れると、指が切れそうだった。

家に着いて、靴を脱いだ瞬間に、ため息が勝手に出た。

「今日、うまくいかなかった」って、ようやく声にできた。

声にしたら、部屋が少しだけ広くなった気がしました。

“整える”って、たぶん私が思ってるよりずっと小さい行為から始まる

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夜、またコーヒーを淹れました。

本当は夜にカフェインはよくない、とか、そういう知識はある。事実2割の部分。

でも感情8割の私は、夜に温かいものを飲むと「今日が終わる」感じがして安心する。今日の私を、明日に持ち越さないための、薄い区切り線。

そこにまた、MCTオイルを少し。

透明で、匂いがなくて、混ぜると表面がつるんとする。

“何かを足す”って、こういうことなのかもしれないと思いました。

劇的に変えるんじゃなくて、今日の自分に、バレない程度に手当てする。

バターコーヒーみたいに“完成された正解”に寄せるんじゃなくて、私は私のままで、ちょっとだけ整う方向に寄せたい。

グラスフェッドバターとかも気になるけど、そういうちゃんとした材料を揃えること自体が、今の私にはハードルだったりする。

「完璧な整い」より、「続くかもしれない整い」。

その方が、今の私にはやさしい。

ただ、ここで困るのが、やさしさってすぐ“自己肯定感”みたいな言葉に吸い込まれて、結局は「ポジティブでいなきゃ」に変換されてしまうこと。

私は、ポジティブでいられない日がある。

むしろ、そういう日が普通にある。

それを“直すべき不具合”として扱うのか、“体調”みたいに扱うのかで、毎日の重さが変わる。

今日のうまくいかなさは、何が原因だったんだろう。

返信が遅れたこと?
ファイル名を間違えたこと?
それとも、もっと前から溜まっていた「私、ちゃんとできてないかも」の残りカス?

答えは、まだ出ない。

出さなくていい気もする。

今日の私は、答えを持つより、揺れている自分をそのまま見ていたい。

MCTオイルがすごい、とか、痩せる、とか、元気になる、とか。

そういう話を私は簡単に言いたくない。

言いたくないのは、効果がないと思ってるからじゃなくて、効果の前に「私の生活」があるから。
生活は、いつも予定通りに進まない。

だからこそ、無臭の透明な油を一滴足すみたいな、小さな習慣に救われる日がある。

結局、私は何を整えたいんだろう。

体?気分?それとも、誰にも見せていない“焦り”みたいなもの?

その問いの答えは、たぶんまだ、台所の湯気の中にあります。

(この続きは、もう少しだけちゃんと言葉にできたら、メインブログの方にそっと置いておきます。)

今日の余韻は、まだ冷めないままです。