1,000万回線突破のニュースを見た朝、なぜか少しだけ心が置いていかれた気がした




窓の外がまだ白っぽい午前7時。

キッチンの電気だけ点けて、湯気の立つマグを両手で抱えた。部屋は暖房が効きはじめる前の、少しだけ刺すような冷たさが残っていて、床の木目がやけに現実的に見える。

スマホの画面を何気なくスクロールしていたら、目に飛び込んできた文字があった。

˗ˏˋ🌟1,000万回線突破🌟ˊˎ˗

楽天モバイルの契約数が1,000万回線を突破しました🎊

お祝いの絵文字が並ぶ投稿は、明るくて、まっすぐで、眩しい。

なのに私は、その眩しさをちゃんと受け取れないまま、親指だけが仕事みたいに次の画面へ進もうとしていた。

たぶん今日のテーマは、こういう「うまくいかなかったこと」だ。

何か大きな失敗じゃなくて、気持ちの受け取り方が、うまくいかなかった日。

朝のニュースと、私の小さなひっかかり

嬉しいニュースのはずなのに、最初に浮かんだのは「すごいね」じゃなかった。

「……私、何やってるんだろ」

口に出したら負けみたいで、声にはしないまま、胸の奥だけがもぞもぞした。

冷めかけのコーヒーの苦さに、変な安心感があった。苦いのは、たしかに“現実”だから。

契約数が1,000万回線。

数字が大きいことはわかる。積み重なった努力があって、いろんな人の選択があって、やっと届いた数なんだと思う。
でも私は、その「積み重ね」を想像する前に、自分の「積み重ねのなさ」を数え始めてしまった。

最近、仕事も、生活も、ちょっとずつ空回りしている。

朝は起きられるけど起き上がれない日があって、夜は疲れているのに眠れなくて、眠れないから朝が重くて、重いから昼も鈍くて。

そんなふうに、言い訳みたいなループだけが上手になっていく。

それで、ふいに思った。

「私は、何かを“突破”できてる?」

もちろん、誰とも競争していない。

それなのに、勝手に“突破”という言葉を、自分の喉元に当ててしまう。

痛くもないのに痛がるみたいに。

その瞬間、気づいた違和感があった。

ニュースの明るさに傷ついたわけじゃない。

私の中の“比べたがり”が、勝手にニュースを材料にしてしまったことが、なんだか嫌だった。

うまくいかなかったのは、回線じゃなくて気持ちの接続


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「接続」という言葉って、便利だ。

繋がる、届く、通じる。

でも、私がうまくできていなかったのは、たぶん回線じゃなくて、気持ちのほうの接続だった。

最近の私は、いろんなものと繋がりすぎている。

SNSの誰かの努力、誰かの可愛さ、誰かの報告、誰かの幸せ。

見なければいいのに見てしまうし、見たくないのに確認してしまう。

そして、見たあとにひとりで小さく落ち込む。

誰にも言わないから、余計に自分の中で育っていく。

落ち込む理由がはっきりしていないぶん、処理の仕方がわからないまま、曇りガラスみたいに残る。

今朝もそうだった。

お祝いの投稿を見たはずなのに、私の感情は「おめでとう」まで届かない。

途中で勝手に別のページを開いて、「私はどう?」という問いを始めてしまう。

こういうのって、すごく“うまくいかなかった”感じがする。

別に誰かに迷惑をかけたわけじゃないのに、自分の中でだけ、ちゃんと失敗として記録される。
自分にだけ、減点が入る。

でも、少しだけ優しく考えてみる。

もしかしたらこれは、私が「頑張りたい」気持ちを持っている証拠なのかもしれない。

うまくいってないと思うのは、「こうなりたい」がまだ残っているから。

それでも、胸のもやっとは消えない。

“こうなりたい”と“今の私”の距離が、思ったより遠くて、寒い。

朝の床みたいに。

そこでまた、別の小さな失敗が起こる。

私はその寒さを、誰かの成功で温めようとしてしまう。

眩しいニュースに触れたら元気になるはず、と勝手に期待して、期待が叶わないと勝手にしょんぼりする。

自分で自分の機嫌を取るのが下手な日は、こういうふうに、明るさにぶつかってしまう。

明るいものが悪いんじゃなくて、私の受け取り方が、ちょっとだけ乱れている。

だから今朝は、スマホを伏せてみた。

いつもなら「これも見ておこう」と、さらにスクロールを続けるのに、今日はやめた。

伏せた画面に、部屋の天井のぼんやりした光が反射して、そこに私の顔が薄く映った。

その薄さが妙にリアルで、少しだけ笑ってしまった。

「突破」って、誰のための言葉なんだろう

契約数が1,000万回線を突破。

その言葉は、本来「達成」のためにあるはずだ。

なのに私の中では、いつの間にか「到達していない自分」を炙り出す言葉になってしまっていた。

それが、今日いちばんの違和感だった。

“突破”って、どこを抜けることなんだろう。

数字?壁?世間の評価?自分の限界?

それとも、誰かの期待?

もし“突破”が「前に進む」ことだとしたら、私は今、前に進めていないのかな。

そう思った瞬間、また自分に点数をつけたくなる。

でも、点数をつけたら最後、私はまた自分を追い立ててしまう。

追い立てると、余裕がなくなる。余裕がなくなると、ますます“接続”が雑になる。

じゃあ、どうしたらいいんだろう。

今日の私は、答えを出し切れない。たぶん出さないほうがいい気がする。

出し切った答えって、時々、次の揺れを否定してしまうから。

ただひとつだけ、気づき未満の小さなことがある。

うまくいかなかった朝って、何かが壊れたんじゃなくて、
「自分の扱い方」を雑にしてしまったサインなのかもしれない。

私は、自分の心を“圏外”にしてしまう癖がある。

都合の悪い感情が出てきたら、見ないふりをして、通知も切って、なかったことにする。

でも、なかったことにした感情って、消えたように見えて、実はずっと待っている。

夜になって、眠れないタイミングで、ちゃんと戻ってくる。

だから今朝のもやっとも、きっと待っている。

「比べたくなった」ことも、「受け取れなかった」ことも、「置いていかれた気がした」ことも。

ぜんぶ、私の中で静かに待っている。

それなら、せめて今日は——
その待っている気持ちに、少しだけ座る場所を作りたい。

大きく肯定しなくていい。解決しなくていい。

ただ、ちゃんと「いたね」って言ってあげたい。

それができたら、明るいニュースを見たときに、もう少し素直に「おめでとう」が言える気がする。

誰かの達成を、自分の不足の材料にしないで。

誰かの眩しさを、自分の暗さの証明にしないで。

…でも、本当にそうできるのかな。

明日の朝も同じようにスクロールして、同じように比べて、同じように小さく落ち込むかもしれない。

その可能性も、たぶん、私の一部だ。

だから今日の問いは、ここに置いておく。

「私は、何を“突破”したいんだろう」
「そして、その言葉は本当に私に必要なんだろう」

最後に、冷めたコーヒーをもう一口飲んで、マグを洗う。

水の音だけが部屋に響いて、少しだけ心が落ち着いた。

うまくいかなかった朝は、たぶん、まだ終わらない。

でも終わらないままでも、今日は、いいのかもしれない。