何も失敗していないのに気持ちだけ置いていかれた日の話
仕事帰り、スーパーの蛍光灯がやけに白くて、レジ横のチョコがいつもより眩しく見えた。
時計は19時台。外は寒いのに店内だけ少しあたたかくて、コートの中がじんわり蒸れて、変に落ち着かなかった。買うものは決めてきたはずなのに、カゴの中は予定より少ない。というより、入れる手が止まっていた。
今日、うまくいかなかったのは「大きな失敗」じゃない。仕事で怒られたわけでもないし、誰かと喧嘩したわけでもない。ただ、ほんの少しだけ、歯車が噛み合わないまま終わった感じがしている。言葉にすると薄くなるのに、薄いのが逆に厄介で、心のどこかでいつまでも引っかかる。
帰り道、駅のホームでスマホを見ながら、友だちのストーリーが流れてきた。イルミネーション、笑顔、シャンパンみたいなグラス。画面の中は、きれいに整った冬だった。私は同じ冬のはずなのに、指先だけ冷たくて、なぜか胸の奥がちょっとざらついた。
「いいね」を押すのは簡単だった。押した。いつもの癖みたいに。ちゃんと祝福したかったし、素敵だと思ったのも本当。だけど、押した瞬間に、自分の中で小さく音がした。カチ、みたいな。何かが切り替わったというより、何かを閉めた音。
そのあと、なぜか急に、今日の自分の顔が思い出せなくなった。会社で笑ったはずなのに、どんな表情だったか曖昧。誰かと話して、うなずいて、メモして、返信して、エレベーターに乗って。全部ちゃんとやった気がするのに、どこにも「私」が残っていない感じがした。
たぶん今日の「うまくいかなかったこと」は、そこだと思う。外側はこなせた。予定通りの電車に乗って、遅刻もしてないし、やることも片付けた。なのに、自分が置いてけぼりになってる。
こういう日は、家に帰ったら、早めにお風呂に入って、好きなドラマでも見て、温かいものを飲めばいい。私もそう思って、いつもそう言い聞かせる。だからスーパーにも寄った。ちゃんと「自分を労わる準備」をしようと思った。鍋用の野菜とか、豆腐とか、あったかいスープとか。
あとは、入浴剤。そういうの。
でも、棚の前に立つと急に迷う。白菜を手に取って、戻して、また取って。豆腐を見て、期限を確認して、戻して。入浴剤の香りを想像して、結局どれも選べない。選べないまま、カゴの中がスカスカになっていく。
たったこれだけのことが、今日はすごく情けなく感じた。野菜を選べないって、何。入浴剤で迷うって、何。自分の機嫌の取り方くらい、もうちょっと上手にできるはずじゃない?って。
その「はず」が、しんどい。
家に帰ると、部屋は静かだった。誰の靴もなく、誰の声もない。玄関の電気をつけて、靴を脱いで、コートをかけて、手を洗う。いつもと同じ。いつもと同じは安心でもあるのに、今日は「いつもと同じ」が、ちょっとだけ冷たかった。
冷蔵庫を開けたら、昨日の残りのヨーグルトと、使いかけのバターと、賞味期限が近い卵。いつもなら「よし、あるものでなんとかなる」って思えるのに、今日は「なんとかなる」に辿り着く前に、気持ちが床に落ちた。ストンって。
そのまま、ソファに座ってしまhelp。
(ごめん、誤字。ここは私の頭の中の「助けて」が勝手に出た、みたいな感じで読んでほしい。)
ソファに座って、スマホを開いた。自分で自分を落ち着かせるために、何かしらの情報を探し始める癖がある。料理の動画、冬のルームウェア、整う習慣、メンタルの整え方。言葉の海に潜れば潜るほど、私は少しずつ薄くなっていく。
「整える」って便利な言葉だなと思う。整えるって言えば、うまくできなかった日も、やり直せる気がする。ちゃんとした暮らしに戻れる気がする。戻る、という発想がそもそも苦しいのに。
今日、何が嫌だったんだろう。
友だちの幸せそうな写真?
自分の部屋の静けさ?
それとも、野菜を選べない自分?
どれも違う気がするし、どれも少しずつ当たっている気もする。たぶん、全部が小さく重なって、ひとつの「うまくいかなかった」に見えている。
私がモヤっとしたのは、「何かが足りない」と思った瞬間に、すぐ「自分に足りない」と思ってしまったことかもしれない。
足りないのは、時間とか、睡眠とか、温かいごはんとか、そういう単純なものかもしれないのに。
いつの間にか、足りない=私の価値の話、みたいに飛躍する。誰に言われたわけでもないのに、勝手に自分を評価し始める。採点する。減点する。今日は特にそれが早かった。反射みたいに。
思い返すと、昼休みに同僚が「来年の予定もう埋まってる」って笑っていた。旅行の話。予定があることが、いいことみたいに聞こえた。私は笑いながら聞いていたけど、心のどこかで小さく焦った。来年の予定なんて、まだ何もない。というか、予定を立てる元気が最近ない。
「予定がない」って、自由のはずなのに、時々とても不安になる。誰にも縛られていないのに、誰にも必要とされていないみたいな錯覚が混ざってくる。変なの。自由を選んだはずなのに、自由に怯える日がある。
一人暮らしって、最高の日もある。
誰にも気を遣わなくていい。
好きな時間に寝て、好きなものを食べて、好きな音楽を流して。
でも、最高じゃない日もある。
最高じゃない日って、ただ「静か」なんだと思う。静かすぎて、自分の心の小さな音が全部聞こえる。
今日の私は、その音に負けた。
負けたって言うと大げさだけど、ほんの少し、立て直せなかった。いつもなら「まあいっか」で済ませられることが、今日は「まあいっか」にならなかった。お風呂に入る前に、洗面所の鏡を見たら、目が疲れていた。疲れているのに、私は自分に優しい言葉をかけられない。「疲れてるね」って言ってあげればいいのに、「ちゃんとしなよ」って思ってしまう。
ちゃんとって、何。
ちゃんとごはんを作る?
ちゃんと仕事をする?
ちゃんと笑う?
ちゃんと将来を考える?
ちゃんと、の中に私がいない。誰かの理想の形だけがある。だから追いつけない。追いつけないから、うまくいかなかったって思ってしまう。
それでも、夜は進む。
部屋の照明を少し暗くして、湯沸かしポットをつけて、カップにお湯を注ぐ。紅茶の香りが立って、やっと呼吸が深くなった。こういう小さなことで落ち着けるのが、私の単純さであり、救いでもある。
カップを両手で包むと、指先が少しだけ生き返る。温かいって、それだけで強い。今日の私は「温かい」に負けたくなかったのかもしれない。温かいものを選ぶことが、今日は難しかった。なぜか、自分にはそれが似合わない気がした。
似合うとか似合わないとか、誰が決めるんだろう。
自分の部屋で、自分が飲む紅茶なのに。
こういうところが、私の厄介なところだと思う。誰にも見せていないのに、誰かの目線で自分を見てしまう。
「こんなことで落ち込むの、ダサい」
「一人で寂しいって思うの、負け」
「30歳でこれって、痛い」
そういう言葉が、どこからともなく湧いてくる。
本当は、寂しいって思っていいし、負けてもいいし、痛くてもいいのに。そう思える日もあるのに。今日はそう思えなかった。
ここで無理に答えを出したくない。
「自分を大切にしよう」とか、
「比べるのをやめよう」とか、
そういう綺麗なまとめをしたくない。
ただ、今日の私には、うまくいかなかった瞬間が確かにあって、その瞬間に私は「自分を見失う速さ」に驚いた。
驚いて、ちょっと怖かった。こんなに簡単に、自分のことがわからなくなるんだ、って。
もしかしたら、うまくいかなかったのは出来事じゃなくて、「自分に戻るまでの道」を見失ったことなのかもしれない。
戻るって言葉も、さっきから好きじゃないけど。戻る場所があるって思えるだけで、人は少し強くなる気がする。
明日になったら、今日のことは薄まると思う。
スーパーの蛍光灯の白さも、ストーリーの眩しさも、野菜を戻した指の感触も、少しずつ溶ける。
それが良いのか悪いのかは、まだわからない。
ただ、こういう日があることだけは、なかったことにしたくない。
「うまくいかなかった」を丁寧に持ち帰れたら、次の私は少しだけ違うかもしれない。違わないかもしれない。でも、違うかもしれないって思えるだけで、今夜は少し呼吸がしやすい。
問いはまだある。
私は何を怖がっていたんだろう。
足りないと思ったのは、何だったんだろう。
そして、足りないって感じたとき、私はどうして自分を責めたくなるんだろう。
カップの底に残った紅茶が冷えてきた。
部屋の静けさが、さっきよりやわらかい。
眠る前に、布団の中でまた少しモヤっとするかもしれない。
でもそれも、今日の私の一部だと思って、そっと目を閉じる。
余韻だけ残すなら、たぶんこれ。
「うまくいかなかった日ほど、静かに自分が出てくる。」


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