うまくいかなかった日の、たった5秒の顔

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今日は、うまくいかなかった日だった。

そう言い切るほどの大事件は起きていないのに、体のどこかに「失敗の味」だけが残っている。

場所は、駅までの道の途中にあるコンビニの前。

時間は朝8時すぎ。冬の空気は冷たいのに、店内から漏れてくる暖かい匂いだけがやけにやさしくて、私はそのまま吸い込まれた。

レジ前の床が、つるんとして見えるくらい磨かれていて、なんだか自分だけが場違いみたいに思えた。

私は今日、やりたいことをやるために早起きしたはずだった。

「ちゃんとした朝」を作れば、今日の自分を少し好きになれる気がして。

でも、起きてからの流れが最初から妙に噛み合っていなかった。

コップに水を入れたつもりが、手が滑ってシンクの外に少しこぼした。

ドライヤーのコードが椅子の脚に絡んで、ほどくのに思ったより時間がかかった。

マスカラを塗る手がほんの少し震えて、右目だけ微妙に濃くなった。

すごく小さい、誰にも気づかれないレベルのズレ。それが積もると、いきなり「今日はもう無理だ」と思えてくるのが、我ながら単純だなと思う。

それでも私は、外に出た。

ちゃんと働くために、ちゃんと歩くために、ちゃんと笑える顔を作るために。

コンビニで買ったのは、いつものカフェラテと、なんとなく手が伸びた小さめのチョコ。甘いものを買うとき、私は自分に言い訳をする。

「今日は特別」「朝ごはんの代わり」「気合い入れ」みたいな言葉で包んで、罪悪感に見えないようにする。

レジで店員さんが「温めますか?」と聞いた。私が買ったのは温めるものじゃないのに、なぜか私は反射で「あ、はい」と言いかけた。

ほんの0.2秒くらいの間。

その「はい」を飲み込む瞬間、私は変な顔をしたと思う。自分でもわかる。相手に伝わるほどじゃないにしても、ちょっとだけ“取り繕いそこねた顔”。

店員さんは何も気にせず「袋はご利用ですか?」と続けた。こちらのミスは、こちらだけのものとして通り過ぎていった。なのに私だけが、その5秒を、ずっとポケットに入れて持ち歩くみたいに気にしている。

「大丈夫」を早めに出しすぎる癖

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そのあと職場に着いて、いつも通り挨拶して、いつも通りPCを開いた。

やることはある。やれることもある。

でも心の中だけが、まだコンビニのレジ前に取り残されているみたいだった。

「今の返事、変だったかな」
「私、焦ってた?」
「なんであんなことで恥ずかしくなるんだろう」

たぶん恥ずかしいのは、間違えそうになったことじゃなくて、間違えそうになった自分を“隠そうとした顔”だ。

私は、自分が不器用な瞬間を見られるのが苦手だ。

失敗そのものより、失敗したときに出る「素」の部分が怖い。余裕のなさとか、焦りとか、気まずさを笑えない感じとか。

たまに思う。私は「大丈夫」を早めに出しすぎる。

大丈夫じゃないときほど、先に大丈夫って言ってしまう。誰かに言うというより、自分に言う。「大丈夫だよ、別に気にするほどじゃないよ」って。

その言葉は便利だ。気持ちを片付けてくれるし、予定も進めてくれる。だけど、片付けが早すぎると、心のどこかに置き去りが生まれる。

今日の置き去りは、たぶんこの感じ。

“私は今、うまくできなかった自分を、かわいく扱えなかった”っていう小さな痛み。

職場の昼休み、同僚の会話を聞きながら笑った。

スマホを見て、予定を確認して、LINEにスタンプを返した。

普通の一日。普通にちゃんとしている私。

それなのに、ふいに頭に戻ってくる。あの「温めますか?」の一言と、飲み込み損ねた「あ、はい」。

こんなこと、誰にも言わない。言わなくていい。

誰かに話したら「あるある」「気にしすぎだよ」で終わってしまうし、終わらせたくないわけじゃないのに、終わらせられるのが悔しい。

自分の中だけで、まだ微妙にほどけていない結び目。ほどけていないことが、ちょっとだけ私らしい気もしてしまう。

そういう“言うほどじゃない痛み”が、私は一番厄介だと思う。

怪我みたいに手当てできないし、熱みたいに数字で測れない。

だけど、確かにある。確かに気になる。確かに、今日の私を少しだけ重くしている。

私が求めていたのは、完璧な朝じゃなくて、失敗しても自分を嫌いにならない朝だったのかもしれない。

でも現実は、失敗のひとつひとつに小さく引っかかって、その度に「ほら、また」って心の中の誰かが言う。

その誰かはたぶん、いちばん私に近い私だ。

(この“自分にだけ厳しい感じ”については、メインブログの「ひとりの夜に自分を責めたくなるとき」の記事にも少し書いています)

夜、帰宅してコートを脱いだとき、部屋が思ったより暖かく感じた。

いつもならうれしいのに、今日はそれすら「私、外で変な顔してたのに」っていう気持ちが邪魔をする。関係ないのに。関係ないからこそ、絡まっている。

ここで「気にしない」と決めれば、明日は軽くなるのかもしれない。

でも私は、決めきれない。

気にしないふりをするのも、気にする自分を認めるのも、どっちもまだ下手だ。

問いにするほど立派じゃない。気づきと言うほどまとまってもいない。

ただ、私は思う。

うまくいかなかった日って、実は「うまくいかない自分をどう扱ったか」が残るんだな、と。

今日の私は、もう少しだけ自分に優しくできたのかな。

できた気もするし、できなかった気もする。

その曖昧さのまま、明日もまた、レジ前で変な顔をしないように気をつけるんだろう。

そしてたぶん、またどこかで、気をつけすぎた自分に少しだけ疲れる。

余韻だけが、まだ手のひらに残っている。


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