ひとり暮らしの帰り道、ほんの一瞬の気まずさをまだ引きずっている自分に気づいた日

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冬の夕方、スーパーの蛍光灯って、やけに正直だと思う。

仕事帰りのコートの肩に、外の冷たい空気がまだ残っていて、レジ前の床だけが妙に乾いて見えた。

手にはエコバッグ。

かごの中には、いつもの卵と、値引きシールの貼られた豆腐。たぶん、今日は「ちゃんと暮らす日」にしたかったんだと思う。

うまくいかなかったこと

うまくいかなかったのは、すごく大きな失敗じゃない。

誰かに怒られたとか、泣くほどの事件が起きたとか、そういう話じゃない。

ただ、最後の最後に、レジでカードが通らなかった。

「すみません、もう一度いいですか」って店員さんが言って、私は「はい…」って笑ってみせて、もう一回差し出して、それでもだめで。後ろに人が並んでいる気配だけが急に濃くなった。

その瞬間、胸の内側が、きゅっと縮む。

“私が悪いわけじゃない”って頭は言ってるのに、体が先に「迷惑かけた」って決めてしまう。

別に、財布には現金もある。払える。問題は解決できる。

でも、解決できることと、心が落ち着くことは、同じじゃなかった。

現金を出す手が、変に丁寧になる。小銭が滑る。

店員さんは優しかったし、後ろの人も何も言わなかった。たぶん、私が勝手に緊張して、勝手に恥ずかしくなって、勝手に自分を責めていただけ。

なのに、そこからしばらく、気持ちが戻らなかった。

家に帰って、靴を脱いで、コートをかけて、豆腐を冷蔵庫に入れても、まだレジの前の自分が、背中の真ん中に貼りついているみたいだった。

「たったそれだけで?」って思う自分もいる。

でも、「たったそれだけ」が積み重なる日って、ある。

ほんの小さな引っかかりに、今日の自分の弱さが、全部映ってしまう日。

こういうとき、私はよく“ちゃんとしている風”を急いで取り繕う。

笑う。謝る。手際よく払う。迷惑をかけない速度で動く。

まるで、私はいつも大丈夫な人です、みたいに。

……でも本当は、そうじゃない。

大丈夫なふりをするのが上手なだけで、内側は案外、すぐに揺れる。

揺れたくないのに揺れてしまう自分を見て、さらに揺れる。

この「すぐ揺れる感じ」、どこから来るんだろう。

自信がないから?疲れてるから?ひとり暮らしのせい?

それとも、ひとり暮らしだからこそ、誰にも見られない場所でしか、揺れをほどけないから?

たまに、似たような“うまくいかなかった日”を文章にして置いています。たぶん、このへんの揺れも、いつかちゃんと整理したくて

それって本当に「迷惑」だったの?

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あの場面で、私が一番怖かったのは、カードが通らないことじゃない。

「私は今、みんなの流れを止めた人だ」って思うことだった。

でも、流れって、本当に止まったのかな。

数十秒。たったそれだけ。誰かが舌打ちしたわけでもない。世界は何も変わっていない。

それでも、私は自分の中で小さく罰を与える。

「次からは気をつけよう」って、起きてもいない次を先に叱る。

完璧にやろうとするほど、うまくいかない瞬間に弱くなるのに。

“迷惑をかけない”って、優しさみたいで、時々、鎧みたいだ。

誰かのためというより、自分が傷つかないための、薄い防具。

じゃあ、もし今日の私が、もう少しだけ図太かったら?
「すみません、現金で払いますね」って、普通の声で言えたら?
胸がきゅっとならない日も、あるんだろうか。

答えは出ない。

ただ、冷蔵庫の中の豆腐を見て、さっきの自分を少しだけ笑いたくなる。
笑えるなら、たぶん、まだ大丈夫。

夜、部屋の電気を落としたあとも、レジの蛍光灯の白さだけが、しばらく瞼の裏に残っていた。