花粉で荒れた肌と恋の不安
朝、カーテンの隙間から入ってくる光がやけに白くて、部屋の空気も、昨日までより少しだけザラついている気がした。
窓を開けたわけでもないのに、春ってこういうふうに「勝手に侵入してくる」んだなと思う。
洗濯物は室内干し、床に落ちた髪の毛は見て見ぬふり、コーヒーを淹れる前にティッシュを一枚手に取って、鼻をかんで、もう一回鼻をかんで、最後に鏡を見る。
鏡の中の私は、昨日の私よりも少しだけ、頬のあたりが赤い。
花粉で肌が荒れてる、というより、肌が「機嫌を損ねている」みたいに見える。
触るとヒリッとして、触らなくてもヒリッとして、何をしていても「そこに違和感が居座っている」。
この季節の私は、いつもそれを背負って会社へ行く。たぶん他の人には見えないくらいの小さな赤みなのに、本人だけが大げさに痛がっている、あの感じ。
今日の主役は、恋でも肌でもなくて、もっと地味で、誰にも言いづらい感情――「見られるのが怖い」だと思う。
正確に言えば、見られるのが怖いというより、「見られて、判断されるのが怖い」。
花粉で荒れた肌は、ただの症状のはずなのに、私の中ではいつのまにか、恋の合否みたいなものと繋がってしまう。痛みがある日は、心まで薄くなる。薄くなるから、透ける。透けるのが怖い。
駅の改札で、顔が熱くなった
会社へ向かう途中、駅の改札前で交通系ICをタッチしたら、いつもと違う音が鳴った。
ピッ、じゃなくて、ピピッ、みたいな、ちょっと焦らせる音。
改札が閉まりそうな気配がして、反射的に立ち止まってしまった。後ろから人の流れが押し寄せてきて、背中が「早くして」と言われているようで、肩がすくむ。
原因は単純で、カードを別のポケットに入れていて、いつもの動作ができなかっただけ。
駅員さんが近づいてきて、「大丈夫ですか」と声をかけてくれた。私は「すみません、すみません」と、必要以上に謝りながらカードを探した。
そのとき、顔が急に熱くなった。たぶん恥ずかしさ。たぶん焦り。たぶん花粉で熱っぽいせい。たぶん全部。
そして、私の中の一番いやな声が、小さく言った。
「こんなとき、肌がきれいだったら、もう少し堂々とできたのに」
……いや、何その理屈。駅の改札と肌の赤み、関係ない。わかってるのに、わかってるから余計に、笑えない。
私、ほんとうは今朝からずっと「誰かに見られたくないモード」だったんだと思う。
肌が荒れている日は、電車の窓に映る自分が嫌で、目線を上げるのが面倒になる。広告のモデルさんの肌が眩しすぎて、目をそらしたくなる。そういう日に限って、改札の前で足止めを食らう。
人って、見られると、存在が確定する。私はその確定が怖かった。
LINEの返信が遅いだけで、勝手に不合格にする癖

改札を抜けてホームに降りたあと、スマホが震えた。通知ではなく、ただのバイブの揺れが残っただけで、画面は暗いまま。
「返信、来た?」
来てない。
最近やり取りしている人がいる。
いわゆる恋の入口みたいな場所に立っている人。
会う約束はまだ、具体的に決まっていない。
向こうも忙しいし、私も忙しい。大人の恋ってそういうものだと思うけど、思うけど、思いたいけど、肌が荒れている日だけ、私は子どもみたいになる。
返信が遅い=興味がない、ではない。わかってる。仕事中かもしれない。移動中かもしれない。単純にスマホを見てないだけかもしれない。
でも肌がヒリヒリすると、なぜか心も「連絡が来ない痛み」を同じフォルダに入れてしまう。痛みは痛みだと、雑にまとめてしまう。
そして、誰にも言わなかった本音が浮かぶ。
「今の私、見せたら引かれるかも」
肌の赤みのことを言ってるようで、ほんとうはもっと広い。生活の乱れとか、部屋の隅のホコリとか、夜に何もしたくなくてベッドの上でスマホだけ見てる時間とか、そういうの全部。
恋って、相手に見せるのは「いいところだけ」じゃ続かないって、頭では知っている。
けれど私は、最初から「減点されたくない」みたいな顔をして、まだ何も始まっていないのに、勝手に怯えている。
わかる…って思う人、きっといるよね。返信の遅さを理由にして、ほんとうは自分の中の不安を回収しようとしてるだけなのに。
会社に着いて、デスクに座って、パソコンを開いて、朝のタスクを機械みたいに処理する。こういうとき私は、感情があることを忘れていたい。
でも、午前中の会議で、後輩が「最近、顔色悪くないですか?」と小声で聞いてきた。
優しさだとわかる。
気遣いだともわかる。なのに私は、笑って「花粉でね」と答えながら、内側で小さくムッとしてしまった。ムッとしてしまった自分に、またムッとする。
だって、気遣ってくれたのに。だけど、今日の私は「見られたくないモード」だから、優しさすらも刺さる。
その瞬間に気づいたのは、私の中の「守りたい」という気持ちが、きれいなだけじゃないってことだった。
肌が荒れている自分を守りたい。弱っている自分を守りたい。恥ずかしい自分を守りたい。
その守りたいの中に、実は怒りが混ざっている。
「見ないでよ」
「判断しないでよ」
「勝手に心配しないでよ」
みたいな、幼い怒り。
たぶん私は、恋に対しても同じ。相手が優しくしてくれるほど、「いつかその優しさが条件付きだったらどうしよう」と疑ってしまって、先に心を閉めたくなる。
恋の不安って、相手のせいじゃないことが多い。自分の中にある「見られる怖さ」が、勝手に相手の顔を借りて立ち上がってくるだけ。
午後、トイレの鏡で自分の顔を見た。赤みは朝とそんなに変わっていない。むしろ少し落ち着いたかもしれない。なのに、私の気持ちは朝より疲れていた。
肌の状態と心の状態が、必ずしも一致しない。
そこに違和感があった。私は肌が荒れているから不安なんじゃなくて、不安だから肌が荒れているみたいに扱っているのかもしれない。原因をひとつに絞ったほうが、安心するから。
「花粉のせい」って言えると、恋の不安まで、花粉に押し付けられる気がするから。
「見られる怖さ」は、恋の前に自分の生活に向いていた
帰り道、スーパーに寄って、カゴに卵と豆腐と冷凍うどんを入れた。
疲れた日の私の定番メンバー。レジで支払いをして袋詰めをしているとき、ふと、袋の中身が見えるのが恥ずかしくなった。
卵と豆腐と冷凍うどん。悪くない。むしろ節約できて偉い。なのに、なぜか恥ずかしい。
そのとき、今日ずっと引きずっていた「見られる怖さ」の正体が、少しだけ輪郭を持った。
私は恋の相手に見られるのが怖いんじゃない。私は、私の生活を見られるのが怖い。
部屋で何を食べて、どんなふうに過ごして、どんな夜を迎えて、どんな朝をやり過ごしているのか。
その生活が、誰かの目に触れた瞬間に、評価される気がしてしまう。肌の赤みは、その怖さをわかりやすく表面化させるだけのスイッチだった。
家に帰って、玄関でコートを脱いで、手を洗って、顔を洗って、鏡の前に立つ。やっぱり赤い。やっぱりヒリヒリする。
でも、さっきのスーパーの袋の中身を思い出して、少し笑ってしまった。
たぶん私は、恋の不安を大きく見せすぎている。
恋が怖いというより、「生活を見せること」が怖い。
それって、恋の話みたいで、実はもっと日常の話だ。私は誰かと一緒にいる自分より、ひとりでいる自分のほうが長い。
だから、ひとりの生活は私の土台で、土台を見られるのは、家を丸ごと覗かれるみたいに落ち着かない。
恋が始まるって、相手を知ることでもあるけど、自分の生活が照らされることでもある。
照らされるのが怖いから、私は先にブラインドを下ろしてしまう。ブラインドを下ろしたままだと、部屋は安全だけど、光も入らない。そんなことを、今さらみたいに思った。
夜、スマホを見たら、例の人から返信が来ていた。
「今日バタバタしてた、ごめん。週末少し時間取れるかも」
それだけ。やさしい絵文字もない。長文でもない。
でも、私はそれを見て、安心した、というより、なんだか肩の力が抜けた。私が今日一日抱えていた不安の半分は、相手の返信とは関係なかったのに、返信が来た瞬間に、全部が花粉みたいに飛んでいくのが面白い。
不安って、相手の行動に紐づいているようで、実は自分の体調とか、生活の余裕とか、そういうものに簡単に左右される。
最後に、寝る前の小さな儀式みたいに、枕カバーだけ替えた。
部屋全体を完璧に整える元気はないのに、顔が触れる場所だけは新しくしたくなるのが、今日の私の弱さであり、生活のリアルでもある。
シーツのシワを伸ばしながら、「誰かと暮らしたら、こういう雑な優先順位も見られるんだろうな」と想像して、また少しだけ怖くなって、でも同時に少しだけ可笑しくなった。
怖さって、いきなり消えるものじゃなくて、笑えるサイズまで小さくしていくものなのかもしれない。
そして明日の朝、もしまた赤みが残っていても、「今日は見られたくない日だったんだな」って、まず自分に言ってあげようと思う。
逃げるためじゃなくて、ひとりで立て直すために。
明日、肌の赤みが引くかどうかはわからない。花粉はたぶん明日も飛ぶ。私の心も、明日また別のことで揺れる。
だけど今日の私は、ひとつだけ、今まであまり触れてこなかった場所を見つけた気がする。恋が不安なんじゃなくて、生活を見られるのが怖い。
その怖さを、花粉で荒れた肌に預けていた。預けることで、私は「理由」を手に入れていた。
ねえ、もしあなたも、花粉の季節に心がザラつくなら、そのザラつきの奥に、ほんとうは何が隠れていると思う?恋の不安の顔をした、別の怖さかもしれないし、ただ今日は少し疲れていただけかもしれない。
どっちにしても、明日のあなたが少し楽になる答えを、無理に出さなくてもいい。今夜は、ブラインドをほんの指一本分だけ上げるところからでいい。





















